だから、これをして、大賀さん本人の思春期と誤差の範囲で、本当に僕自身が「あぁ。わかる。分かるよ。僕の周りには渋也さんも岩もフランキー会長も蓑君もいなかったけど、確かに僕が高校時代に愛した彼女は、その中身は“花室もえ”だったし、僕と彼女の周囲を包んでくれていたのは、“某校の連中”と、ほぼ変わらなかった。だから、そんな僕たちの思春期を、リアルタイムでクロッキーしてくださって、本当にありがとうございました」は、本当に、最初にこの漫画を読み終わったときから、いつか作者の小林じんこ女史には、ちゃんと御礼を伝えておきたかった「想い」ではあるのだ。

第26話『アリサ』

あとは、些末な話を少し。
『風呂上がりの夜空に』連載当時、映画で原田知世主演・大林宜彦監督の『時をかける少女』(1983年)が大ヒットしたこともあって、それと酷似した構図の、辰吉が、自分の将来の娘と出会うタイムスリップをする話(第26話『アリサ』)があるのだが、全編最終回の後、真の最終回は今一度、そのアリサという、辰吉ともえが育んだ少女の思春期の、言ってしまえば近未来SFっぽい状況を描いて終了するのである。


そこで、あぁ小林先生、やっぱりむしろ、そこいらの屁理屈SF作家よりも、天性の才能があるなぁと今回改めて思えたのは、その最終回『アリサⅡ』で、それは舞台設定的には、最終回(1987年)の20年ちょっと後なのだろうから、ちょうど筆者たち我々が生きる今現在の、少し前の時代(2010年前後?)を描いているのであるが、実はそこでの「ネタ的に描かれた『未来はこうなる』では「ソ連が資本主義国家になる」「パソコン型のテレビ電話が当たり前に使われてる」「アメリカのメジャーリーグで、日本人(公会堂渋也)が活躍している」「『笑っていいとも』(実際に終了したのは2014年)が、まだ続いている」等が、ソ連がまだロシアになる気配も見せず、Skypeどころかパソコン自体がまだレアアイテムで、イチローはもちろんまだプロデビューすらしていない時代に、さらっと描いたことが全て当たっていたという意味では、小林じんこ女史の非凡さに、舌を巻かずにはいられない。

最終回『アリサⅡ』
最終回『アリサⅡ』
最終回『アリサⅡ』

一方で少しだけ、個人的な思い入れのネタを。
現代では様々なクラスタ争いや属性闘争から、サブカルとオタクは相性が悪くなってしまったというのはあるが、まだまだ、それこそ『風呂上がりの夜空に』連載当時、『宝島』等を中心に活躍していた、みうらじゅん氏や泉麻人氏等は、その両方に造詣が深く、しかしそれは、筆者なども当たり前で、決してサブカルとオタクは、現代のような「リア充VS非リア充」みたいな、不毛な争いなんかではなく、時代を共有するガジェットと文化だったのだよねと、今回改めて思い出させてくれたのは、劇中、スタンダードなラブコメの展開で、辰吉の中学時代の、実は辰吉と両想い同士だった少女と、辰吉と、喫茶店で偶然居合わせてしまったヒロイン、もえが、その場にい続けることができなくなって、ありもしない急用を思い出して、喫茶店を出ていくという展開があるのだが、その時、もえが口走った「ありもしない急用」の内容が、今読んでも笑いが止まらない

「あーーーーーー!
『怪奇大作戦』の再放送が 今日からということを
すっかり忘れていた」

第18話『ちょっと猫的』
第18話『ちょっと猫的』

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