というもので、もうね、なんでそこで、いきなり、80年代中盤を女子高生として生きる子が『怪奇大作戦』なんだよと(笑)
これはもう、本当に、小林じんこ女史の中で、『怪奇大作戦』と『愛と誠』と『世にも怪奇な物語』と爆風スランプとRCサクセションが、等価で存在している「セカイ」を、僕たちに用意してくれたのだと、それも含めてやっぱり、特撮とサブカルとRockとPUNKと映画とフェリーニ監督と、全部を愛しながらも、人生も男子としても、仕事も恋愛も、全てがフラフラ迷走していたままだった筆者にも、「“そこ”に、そんな連中が生きるセカイがあって、“そこ”でも、ここと変わらない、人と人の形があるのであれば、そうそうボクは迷わなくてもいいんだ」と、今に至る道を照らしてもらえた想いがあるのである。

どうして みんな 本当のこと
そのまんま そこに置いといて 見ないの?
どうして こっちに持ってきて ワクにはめて 図るの?

第57話『symbolize』

辰吉と出会う前に、袋小路に追い詰められた中学生の少女は、そう呟いて後は泣き叫ぶしかなかった。
今の筆者、大河さんが、一番に叫びたいことと同じであるが、それは少女の存在全てにかかる負荷であれば、耐えられるものではない。
その先で。
全ての「本当のこと」に囲まれて、逡巡しながら、迷い苦しんだ果てで、KissもSEXも交わした「人生で一番愛する、本当の人」に向けて、もえが軽口を叩いた。

そういう口は 自分の目で地球を見た奴がたたくもんよ
結局みんな へっぱりついたところから 出らんないのよーだ

第60話『風呂上がりの夜空に』

そう、少し寂しそうな背中で語った少女の背から、肩を叩く辰吉。

たたいてやるよ
いつか
夢はかなうんだもんな

第60話『風呂上がりの夜空に』
第60話『風呂上がりの夜空に』

その台詞を語った辰吉が、将来どうなったかは、最終回『アリサⅡ』で描かれるが、この物語全編は決して「夢は信じればかなう」といった、新興宗教か平成ウルトラマンのような幼稚なテーマをアナウンスしたかったのではないだろう。
誰かの夢は、他の誰かにとって現実であり、誰かはきっと、愛する人の夢をかなえるために生きている。
僕が君を知ってる。
君が僕を知ってる。
それだけだったのであろう。

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