一方「半世紀以上あせない魅力」で括るのであれば、本話で活躍したバルタン星人の、キャラクターとしての魅力についても、触れないわけにもいかないだろう。

無論、バルタン星人といえば、いまや国民的な認知度を誇る宇宙人キャラだけに、既にこの50年の間に、先人達によって語りつくされてきた感は否めないのだが、このバルタンに関して、いろいろ資料を集めて考察していくと、面白い「ズレ」を、そこに感じ取ることが出来る。

初期ウルトラシリーズの、怪獣・宇宙人の魅力の根幹は、もちろん、デザインを担当した成田亨氏と、造形を担当した高山良策氏の、前衛芸術家コンビによる、独創的で芸術的な発想と発現力によるものが大きい。

それは疑いようのない真実であり、そこで異論を挟み、その異論に説得力を付加することは、実はかなり困難なプロセスを要求されるほどに、成田・高山コンビの業績と実力は本物である。

しかし、ここに面白い事実がある。

ウルトラマンや怪獣、宇宙人は、確かに成田・高山両氏によるモニュマンだったが、そのウルトラ世界で、最高峰に位置する知名度と人気、独創性を誇る、ウルトラマンとバルタン星人の二人に関しては、実は成田・高山コンビ以上に、当時特撮美術を担当していた佐々木明氏の関与の方が強く、出来上がった立体としてのウルトラマンやバルタン星人は、佐々木明氏の作品ともいえる部分が大きいのである。

(初代バルタン星人の初代に関しては、近年になって「当社が造形を手掛けた」とアナウンスし始めた造形会社が存在するが、まだその確証は得られておらず、物証もない段階なので、ここでは佐々木氏の功績と限定して言及する)

そもそも初代ウルトラマンには、決定稿のデザインが存在していないことは有名である。それは通説を元に解説するならば、一応最終段階デザインの、レッドマン(ウルトラマンの頭部の、目がゴーグルで中に人の目が見えており、また、鼻に当たる部分から下が、人間の口が見える仕様になっているデザイン)を基に、成田氏が「余計な装飾をとことんそぎ落とす方向」で、後はクレイモデルで立体彫刻で作り上げたデザインを、実際のスーツに反映させたという経緯を持っているのであるが、実はその時、クレイモデルから実際のスーツへと移行する段階で、実質的に初代ウルトラマンAタイプスーツの実体化に、一番最前線で手腕を発揮したのが、前述の佐々木氏なのである。

機電(目やカラータイマーの電飾などの担当)の倉方茂雄氏と共に、成田彫刻と雛形を、実際の撮影に耐えうるスーツとして完成させたのは、実は佐々木明氏であると言っても、過言ではないだろう。

そしてその図式は、実は国民的英雄・ウルトラマンと共に、国民的宇宙人・バルタン星人にも当てはまるのである。

バルタン星人は、少しでもウルトラに対して知識がある方には常識であるように、そもそも初登場『侵略者を撃て』において登場したときは、前作『ウルトラQ』の『ガラモンの逆襲』で登場した、宇宙人・セミ人間というキャラクター着ぐるみの、改修によって作られる予定であった。

それは、デザイン段階から決まっていたことであり、もちろんそこは芸術家の成田氏ゆえに、「頭頂部のVの字型の角と巨大なハサミ、そして昆虫を思わせる腰部の甲冑」という、最大にして最小の改修のみで、セミ人間からがらっと印象を変えることに成功したばかりか、その後半世紀以上経っても国民から愛される、普遍的キャラクターに昇華させたわけだが、しかし、当の御本人成田氏は「基本的に改修デザインは気乗りしない」と仰っていたように、少なくとも放映当時は、バルタン星人という存在やデザインを、気に入ってなかった様子が伺える。

成田亨氏による、バルタン星人デザイン画

そしてその、バルタン星人の造形も、どちらかというと高山氏よりも、佐々木明氏が中心になって、セミ人間の着ぐるみをそのまま改修したのではなく、原型だけを流用して、改めて作り直したのが初代バルタン星人であると、今では判明している。

セミ人間という素体を元に、稀代のキャラクター・バルタン星人の立体を完成させたのは、実は佐々木氏の功績なのである。

成田氏は、バルタン星人がどうしても、既存の(自身が造形した)セミ人間(の原型)から改修されたことが納得いかなかったのか、成田デザインに忠実なバルタン星人に関しては、改めて(佐々木氏によって)本話で作り起こされた本話の二代目があり、成田氏も、こちらの方がバルタン星人らしいし気に入っていると後年述べていたが、しかし、受け取る側の子ども達、国民にとっては、やはりこの二代目よりも初代の方が認知度は高い。

つまり、『ウルトラマン』を、いやウルトラシリーズを、いや子ども番組世界を代表する、ウルトラマンとバルタン星人というライバルキャラの確立についての、それの立体化という視点で見たときの、一番の貢献者は、実は成田・高山コンビ以上に、佐々木氏の尽力による部分が大きいという見方も、現代において改めて当時の諸事情を振り返るときに、そこに見出すこともできるのである。

また『ウルトラマン』最終回のゾフィや、『ウルトラセブン』のウルトラセブンの最初のマスク原型も佐々木氏の手によるもの。

つまり、60年代のウルトラ兄弟(とあえて言ってみる)は、実は全て佐々木氏による造形なのである。

もっとも、これだけの事実を持ってして、稀代の成田・高山コンビの業績や評価に、異論を差し挟むつもりなど毛頭ないのであるが、こうやって作品から半世紀以上経って、ウルトラシリーズを俯瞰して考古学のように検証すると、もう少し、佐々木明氏への評価が高くても良いような気はする。

近年、ようやく佐々木氏への再評価が始まってきて、フィギュアイベントなどで佐々木氏が表舞台に呼ばれるようになってきたが、

少なくとも、国民的知名度と、社会現象を生んだウルトラマンとバルタン星人、ウルトラセブンについては、佐々木氏の名前に、もう少しスポットが当たってもいいのではないかと、筆者はそう思うのである。

それはきっと、70年代末期から巻き起こったウルトラブームの中において、ことさら実相寺昭雄監督の名前ばかりが脚光を浴びた現象と、似ているのではないか。

その当時の実相寺監督の名前も、少し遅れてしきりにアナウンスされた、成田・高山氏に関する、「ウルトラマンを作り上げたデザイナーと造形家は、偉大なる前衛芸術家だった」も、それはきっと「イイトシをした大人になってもカイジューとウルトラ好き」である自分を、正当化して、社会に認めさせようとした「差別されたウルトラオタク」の、必死の反論攻撃材料であったのではないかと、筆者は推測する。そしてそれは、近代においても、やたらと『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)ファンが、死海文書との符合や、宗教学・哲学を持ち出して語ったり、一部の作品のファンが、好きな作品を持ち上げるために、政治学や思想学を持ち出して、必死に権威付けしようとする、滑稽な図に似ている。

そう、いつの時代も似た構造はどこかに散見する。

ウルトラマン・バルタン星人における佐々木氏の功績は「自分たちは低俗な子ども番組を楽しんでいるんじゃない。その証拠に、監督をしていたのは日本映画界の芸術映画監督だったし、怪獣やウルトラマンのデザインや造形は、日本前衛芸術界では著名で高名な、絵画家と彫刻家がコンビを組んでいたんだぞ」という、浅はかな理論武装によって影に隠されてしまったのだ。

もちろん筆者とて、実相寺・成田・高山といった三氏の功績にケチをつけるつもりはないが、そういったファンによる「神輿の担ぎ上げ」が、それぞれの三氏の、後年の表現活動や人生に良い影響だけを、与えただけではないのかもしれないと思うとき、そして、今ようやく再評価が始まった佐々木氏によって、フィギュア展開などの形によって、自身の表現が再び発信され始めた現実を思うとき、むしろ、初期ウルトラシリーズを支え続けていた佐々木氏に、もう少し(ファンの都合主義を抑制して)相応の評価を、当初から与えていたならば、氏自身による「表現」が、もっと早く再開されていただろうになどと想像すると、非常に残念に思えてならないのである。

成田亨氏は、後年「子ども達が、私の作ったウルトラマンや怪獣の人形を持っていると、私がやってきたことに間違いはなかったのだと確信できた」旨の談話を残していたが、同じ「ウルトラマンや怪獣の人形を手にした子ども」を見たときに、佐々木氏の胸に去来した物はなんだったのであろうか。

いつか、佐々木氏と向き合える日が来たら、最初にそれを聞いてみたいと思う。

いつでも、地球人の前に立ちはだかり、地球人の未来に対しての問題を、自身で表現してきたバルタン星人。そのバルタン星人は、劇中そのままに、三人の芸術家の未来の前に立ちはだかり、そしてそれぞれに違った影響を与えた。

成田・高山氏は物故し、佐々木氏はようやく再評価されるようになり、そして飯島監督は『ウルトラマンマックス』でも、またそれまでとは違った「バルタン星人像」を描き続けた。

バルタン星人というキャラクターを生み出す時に関わった方々が、全て去った後でも、きっとバルタンそのものは、これからも愛され続けていくだろう。

それはなぜだろう?

きっとそこには、必ずいつだって、私達人類が見る夢がその時々で形を変えて、バルタン星人が立ちはだかる向こう側で、輝いているからではないだろうか?

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