だから僕は…

以上が、書評サイト時代の前口上であった。「書評サイトでアニメを扱うことの正当性」に対して、少し肩ひじを張り続けているとは、今読んでも恥ずかしく思う。

なにせ、その時の前書きは、こんな言葉で締めくくられている。

富野由悠季という、一人のクリエイターでもあり、作家でもあり、職業人でもあり、優れた商売人でもある存在が、1980年代初頭に、日本列島を社会現象に巻き込んだ『ガンダム』という“現象”を“読む”というのが、今回の連載の帰結的メインテーマである。

当時、勢いだけで始めた連載が、なぜ中断になったのか。しかもそれが再開するまでに5年を要したのか。

それは、連載があまりにも「書かねばならない要素、テーマ」が多岐に渡り、あのペースであのクオリティを維持していくことが不可能になったこと。そして、なによりも、ガンダム本編で言えば劇場用第二弾『哀・戦士編』ラストまでにあたる、ガンプラやフィギュアを使った「再現画像」の、特に背景の処理があまりにも、ラフすぎてそれは「味わい」ではなく、ただの「雑」に感じられるという客観に、気付かされたからである。

それら様々な要素を、今一度再考し、改めて万全を整えて再挑戦するべきだという自己認識に、辿り着いての連載中断であった。

だが筆者は今、公式の自サイトを構える一国一城の主になった。

もう、書評であるかどうかに、怯えながら筆を運ぶ必要もなくなった。

再現画像も、あれから制作体制やハードウェアも刷新して、それこそ劇場版ガンダム三作目の、TV版との差異の感動を、再現するに等しいクオリティをお届けできるだろうと自信を持っている(過去掲載分までの再現画像は、特にリファインせず、そのまま使用する)。

そのようないろいろも含めて、書評サイトで中断するまでに掲載した連載分も再掲していった上で、その先を、待望の読者の方もいると思うので、是非ご要望に応えてつづけていきたい。

願わくば。

当時『ガンダム』に関わった、全ての関係者への賛辞になれれば。

願わくば。

当時『ガンダム』に熱狂した元少年少女たちにとっての、良きテクストになれれば。

それは切に願いたいと思うのである。

次回から始まる「シン・機動戦士ガンダム論」

第1回『ガンダム』前夜の1978年(前)

まずは“『ガンダム』を生み出した時代”を読み解きます。

君は、生き延びることができるか。

(この項 続く)

次回「『シン・機動戦士ガンダム論!』第1回 『ガンダム』前夜の1978年(前)」

(フィギュア再現画像特殊効果協力 K2アートラクション)

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事