「翔べ!ガンダム」

翔ぶ。
1979年。『機動戦士ガンダム』が放映された年は、今まさに、激動と夢の終わりと“生々しい現実”を突き付け続けられた、70年代という時代が終わろうとし、80年代という“新しい時代”へと、ただぼーっと移ろいを過ごすのではなく、なんとかまだ見ぬ時代と地平へと、翔んでみせなければならないと、無意識下で人々が焦燥感を抱いていたタイミングであった。
人間という生き物は、表層意識以上に“数字”というものの影響を受ける。実際は、過ごす年号が「1979」から「1980」へと数字が変化するだけでしかないものが、ある種の意識改革を促すということは、近年では誰もが21世紀になる瞬間に経験したものだ。


デニム「スレンダーお前はここに残れ。俺たちに万一のことがあったら、直ちにシャア少佐のもとへ戻るんだ」
スレンダー「は! 曹長」

「70年代への反省と反動と、そこからの飛躍」それは時代が80年代を迎えるにあたってのメインテーマであり、子ども向け娯楽文化もその例外ではなかった。
現代の資料では、この時期は主に『宇宙戦艦ヤマト』(制作・1974年)の再評価が社会現象にまで至っていて、ヤマトブームは一つには『宇宙戦艦ヤマト』(1977年)『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年)『ヤマトよ永遠に』(1980年)という、劇場用アニメを生み出し、急速に膨れ上がったブームが、やはり急速にしぼんでいくのであるが、もう一方では『ヤマト』原作者の「松本零士アニメ」のブームとして、『銀河鉄道999』(1978年)『宇宙海賊キャプテンハーロック』(1978年)等々が産み落とされ、今もまだ明確にアニメ史に刻まれているが、そこに影響を受けつつ、宝塚歌劇団による演目でこちらも社会現象になっていた『ベルサイユのばら』が、1979年にようやくテレビアニメ化されるなどとのスパイラルによって「“愛”をテーマに掲げた、壮大なロマン主義作品」がトレンドになっていた時代であった。

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