『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』『未来少年コナン』

発端は、ある意味でヤマトブームとシンクロする形で、1978年に始まった。
元はといえば、1977年に、共にアメリカハリウッドで衝撃的な大ヒットを飛ばしたSteven Allan Spielberg監督の『Close Encounters of the Third Kind』と、George Walton Lucas, Jr.監督の『Star Wars』が、鳴り物入りで翌1978年に『未知との遭遇』『スター・ウォーズ(現在では、シリーズの他のエピソードとの整合を高めるため『エピソード4 新たなる希望』という副題がついている)というタイトルで、日本で公開されることとなったことを起因としている。

これに対して、日本映画界も黒船来日より先出しじゃんけんで、とばかりに、東宝『惑星大戦争』、東映が『宇宙からのメッセージ』を、それぞれ『スター・ウォーズ』日本公開前に突貫工事で制作して劇場公開するが、一方ではあまりにも哲学的に難しいテーマやストーリー、長すぎる上映時間などから日本公開が見送られてきていたソ連製SF映画『惑星ソラリス(原題: Solaris 1972年制作)も、このタイミングで初の日本劇場公開がされた。

そして、新作がどれもこれもマイナー的であったこの時期のテレビアニメーションの世界では、後のジブリアニメに通じる本格SF少年冒険活劇作品『未来少年コナン(原作はAlexander Hill Keyの傑作SF小説『The Incredible Tide』が、宮崎駿氏、高畑勲氏、大塚康生氏等の手によって、『未知との遭遇』公開開始直後の1978年4月から、NHKで放映開始された。

『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』『未来少年コナン』は、それぞれSFとして一級でありながら、SFならではの娯楽性が一切被っておらず、超常現象日常ジャンル、スペースオペラ、未来冒険活劇とジャンルを細かく区分け、その上で、松本零士アニメとしてはかなりSF性がまともに高かった『銀河鉄道999』が秋からオンエアされるに至り、それまでの「SF映像といえば、合体ロボットか怪獣」「SFは、一部の好事家だけが喜ぶジャンルなので、一般層には受け入れてもらえない」等の常識は覆され、「SFを扱った映像コンテンツは、むしろ今が旬」とばかりに、一気にSF映像作品ブームが盛り上がった。それが「『ガンダム』が始まる前年」の日本の映像界だった。

時系列は前後するが、この「『スター・ウォーズ』ショック」とも言われたSFブームは1978年以降も減速することなくエスカレートしていき、アニメの世界では劇場用新作になると、サイボーグチームバトル漫画だった『サイボーグ009 超銀河伝説』(1980年)も、惑星単位の寓話アンソロジーだった『銀河鉄道999 (The Galaxy Express 999)』(1979年)も、“漫画の神様”手塚治虫氏の金字塔漫画『火の鳥』も、『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』(1980年)で、どれもこれもスペースオペラになってしまい、挙句には、SFとは無関係の『ルパン三世』も、劇場用『ルパン三世』第1作(1978年)では、クローン人間を題材に扱ったSF映画として作られてしまうほどであった。

アムロ「……極秘資料?」

アムロ「……! れ、連邦軍の……モ、モビルスーツ?……」

次回『シン・機動戦士ガンダム論』。
第2回『『ガンダム』前夜の1978年(3)』
富野監督は、どのような葛藤とモチベーションで『ガンダム』を生み出したのか、を読み解きます。
君は、生き延びることができるか。

(フィギュア再現画像特殊効果協力 K2アートラクション)

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