前回はこちら「「『イデオンという伝説』をデザインした男」樋口雄一氏 インタビュー 前編」

メカデザインという名前のビジネス

――『ガンダム』ブームで初めて「メカデザイン」という仕事にスポットが当たったと思います。けれどあの時代はまだロボットのデザインとアニメと玩具の関係が、作品単位、企業単位で多種多様であったため、いわゆる「メカデザイナー」でも、個々に職域が異なっていたとは感じています。

樋口 大河原(邦男)さんの『ヤッターマン』(1977年)とか、『ヤットデタマン』(1981年)の、サブメカ、ヤラレメカなどはサブマリンで手伝っているんですよ。

――「今週のびっくりどっきりメカ」というメカですね。

樋口 そうそう(笑) 大河原さんとはいろいろ重なってて、影に隠れては、いろいろ仕事をやらせてもらってたんですよ(笑) あと、『勇者シリーズ』(1990年から始まった、サンライズ制作、タカラスポンサーのロボットアニメシリーズ)の時もそうなんですけど、メインメカは大河原さんがやられて、他にもいろんな方がやられてるんですけれども、なぜか僕は、サブマリンの社員を一人サンライズに送り込んで、サブキャラとかメカ設定を彼にやってもらったりしてたんですよ。そうするとパッケージの仕事ができるんです。僕らデザイン会社にしてみたら、商品パッケージのデザインが一番やりたいんですね。僕も最初の頃は、パッケージの仕事をもらうために、アイディアスケッチの仕事をタダでやってたこともあるぐらいです。それがだんだん進化というか量が多くなってきて、お金をいただかなきゃやっていけなくなってきたっていうのが、まぁサブマリンの出来た理由ってことですかね。僕らにとって、パッケージ、ボックスは「第三のプレゼンター、マーケッター」と思っています。だから商品写真の撮影や準備やセッティングや、結構な経費がかかる。スタジオ代、モデル代、そしてスタジオ使って写真の修正。パッケージの仕事が入れば、他にも、取扱説明書だとか雑誌広告とか(のデザイン)っていうのが、グロスで入ってくるという仕事の流れがありましたからね。

イデオンの合体合金玩具のパッケージ

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事