長浜忠夫氏急逝から、映画版『ガンダム』上映開始。「ガンダムSF論争」

一方で、『ガンダム』映画化が決定した直後の11月に、日本サンライズの屋台骨を富野監督と共に支え、『勇者ライディーン』(1974年)の監督交代劇以来、富野氏にとっては終生のライバル扱いでもあった、偉大なるアニメ監督・長浜忠夫氏が急逝した。
“この意味”は、いずれこの連載で、富野監督の自伝『だから僕は…』を扱う時に詳細を書くが、それはある意味で、日本の子ども向けロボットアニメの市場と歴史が、一つの転換期を越えた象徴であるとも言えた。

長浜監督急逝から2週間も経たない頃合いで、映画版『機動戦士ガンダム』の特報フィルムが松竹に納品された。
“せめて映画らしく、話題になりそうな、メジャーな人選を”という思惑や気概が、松竹サイドにあったのかは分からないが、主題歌の作詞作曲を(歌唱までは、所属レコード会社の問題で叶わなかった辺りが限界論か)谷村新司氏が、テレビ版第13話『再会、母よ…』で登場したアムロの母親役を、大御所女優の倍賞千恵子氏が、それぞれ担当することで一般層にもアピールした。

年を跨いで1981年、映画公開の春を待つ一番重要な時期の1月に、『月刊OUT』2月号に、SF作家の高千穂遙氏が『SFを考える―巨大ロボットアニメを軸として』という『ガンダム』批評エッセイを書いた。

総監督の富野さんが「2001年宇宙の旅」を超えてみせるとまで豪語した「ガンダム」が「2001年――」を超える超えない以前にSFにすらならなかったのには、いろいろな要因があったと思います。

その最たるものは、やはり、総監督にSFマインドが希薄だったということでしょう。富野さんは、アニメ界に数すくないSFの理解者のひとりです。しかし、SFというジャンルにどっぷりとひたった人ではありません。からだにSFを刻みこんでいる人ではないのです。だから、SFにしてやろうという意識が常に必要とされ、ふとアニメーティングや人物設定に気を奪われたとき、SFから逸脱します。SFであることを忘れてしまい、作法を見失ってしまうのです。

かてて加えて、スタッフにSFマインドがありませんでした。もちろんこれは、ないのが当然で、ないならば、SFをめざした当人である総監督がそのように指揮すればいいのです。ところが、富野さんはそれをうまく処理できませんでした。ぼくの見たところ、ふと気を奪われてSFから逸脱した部分にスタッフの焦点が合ってしまい、やむなくそのままラストまで突っ走ってしまったという感じです。もしかしたら富野さん自身の焦点が合ってしまったのかもしれません。

(中略)

ぼくは「ガンダム」が20話ほど放映されたころ、富野さんに「ガンダム」がSFではなくなっていると告げ、その理由を説明しました。SFの人間が、あの設定を得たら、ストーリーは、あのようには展開しないと言ったのです。富野さんは、ぼくの意見に同意しました。何といってもSFの理解者です。多分、ぼくが言わなくても、わかっていたのでしょう。ただ理解することと、実践することは別のものだったのです。

『月刊OUT』1981年2月号 高千穂遥『SFを考える―巨大ロボットアニメを軸として』より

これは、『ガンダム』の基礎設定やSF考証などに尽力したスタジオぬえの代表として、『ガンダム』が現代SFの代表のような扱いをされていることに対する不満が書かせた名文であり、これを起点として、高千穂氏と富野氏による、アニメファン全体を巻き込んだ、壮大な「ガンダムSF論争騒動」が始まってしまった(高千穂氏は約一年前の『月刊OUT』1980年4月号でも一度、『ガンダム雑記』というタイトルで、ガンダム批判を寄稿している)。

しかし、高千穂VS富野の頂上決戦は、すぐに同じく『月刊OUT』4月号(映画公開直前の3月発売)で『富野善幸VS高千穂遙デスマッチ対談』で終息し、元々富野監督にしてみれば、上で引用した永井一郎氏との対談にもあったように、『ガンダム』をSFだとは自負しておらず、対談は一方的に高千穂氏の勝利(?)で終わった部分は大きい。

もっとも、この対談自体が、『SFを考える―巨大ロボットアニメを軸として』が『月刊OUT』に掲載発売される(1月27日)直前の、1月22日に行われており、ある種の『ガンダム』盛り上げを含んだ“プロレス”であったのかもしれないという予測も今では成り立つ。

だが、富野監督の方は、その後の自伝でこうは語ってはいる。

(引用者註・『鉄腕アトム』(1963年)時代に脚本を担当していた、SF作家の豊田有恒氏に言及して)氏の才能に気づいて、SFのなんたるかを虫プロ時代に教わっていれば、この年になって高千穂遥なんて若僧(ゴメン!)に馬鹿にされずにすんだというものだが、後悔は先に立たず……。

アニメージュ文庫『だから僕は…』富野由悠季著

話は前後するが、この「ガンダムSF論争騒動」の渦中に、ガンダムブーム最大のイベントである「アニメ新世紀宣言」が新宿で行われた。

ミライ「高度5万3千。減速良好! 水平角に戻します」
ブライト「よーし! アムロ! きこえるか! アムロ!」
セイラ「アムロ! 無線が使えるはずです! アムロ! 応答して下さい! アムロ!」
オペレーターB「映像回復します。ガンダムです!」
フラウ「アムロ!」

本連載は、次回以降では一度、ガンダムブームの歴史の傍流? いや本流だったのかもしれない、「ガンダムのプラモデル」いわゆる「ガンプラ」の歴史を語るフェイズへ移行して、「アニメ新世紀宣言」以降の劇場版公開以降のブームの詳細は、その後の連載に続く構成をとる。

次回『シン・機動戦士ガンダム論!』第9回『ガンプラを語り尽くせ!・1』
君は、生き延びることができるか。

(フィギュア再現画像特殊効果協力 K2アートラクション)

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事