そんなキングジョーとセブンが戦う、神戸防衛センター前や神戸港のミニチュアセットは、スポンサーの全面協力による正月特別編予算体制の下、東宝の砧第一ステージに組まれた。
ここは後に『帰ってきたウルトラマン』第一話で、タッコングとザザーンが暴れた勝鬨橋周辺のセットが組まれたステージで、その広さ・照明設備の豪華さなどは、さすが映画用スタジオというクオリティ。
本編のロケも、予算を充分に使い神戸の特徴的な景色を網羅しており、芦屋教会や神戸ポートタワー、防衛センターという設定になった国立京都国際会館など、上手くドラマに盛り込みながら製作された。
その中でも、防衛センターとして描写された国立京都国際会館。
これを設計したのは、建築家・丹下健三氏の弟子の中でも、最も早くから師事していた一人、大谷幸夫氏。
大谷氏の他の作品には、他には文京スポーツセンターなどがあり、文京スポーツセンターは西洋の、京都国際会館では日本の、それぞれの中世の建築様式を取り入れており、この京都国際会館などは良く見ると、合掌造りを取り入れてあったりする。
本話では、この特徴的な建造物が精密にミニチュア再現されており、全盛期の円谷特撮の緻密性を感じさせてくれるのである。
そんな本話の物語は、全編を通じてスパイ風な味付けがされており、ここには、当時世界的に大ブームを巻き起こしていた、イアン・フレミング原作のスパイ映画『007シリーズ』の影響が見られる。
007シリーズは、その華麗なアクションと東西冷戦をバックにした適度なリアリズム、そして主人公・ジェームズ・ボンドの魅力で世界中を魅了した映画であり、特にこの1967年は、日本を舞台に浜美枝氏や丹波哲郎氏などが出演した『007は二度死ぬ』が製作・公開された年でもあって、日本での007人気は頂点に達していたのである。
テレビでも『0011ナポレオンソロ』(1964年)『スパイ大作戦』(1966年)『電撃スパイ作戦』(1968年)などなど、スパイ物欧米ドラマがブームを押し上げ、そして便乗し、群雄割拠していた時代であったのだ。
ちなみに、本話で登場した諜報部員・マービン・ウェップの声を吹き替えたのは、後にクリント・イーストウッドやジャン=ポール・ベルモンド等の、専属吹き替え声優として、そしてまた、国民的アニメになった『ルパン三世』(1971年)の主役・ルパンの声優として有名になった山田康雄氏であった。
今回は、本話『ウルトラ警備隊西へ』にまつわる、様々な余談やチェックポイントを書き連ねた構成にしてみたが、今回の文章のラストとして、最後に余談にあげておきたい話がひとつ。
本話は当然、神戸ロケを敢行したわけであり、もちろん満田監督以下のスタッフや、森次・菱見両名他のキャストは、直接神戸に乗り込んで、安旅館(by菱見百合子)に宿泊しながら、連日の撮影をこなしたわけであるが、その「神戸乗り込み」に一番障害になったのは、実はキャストでもスタッフでも、小道具でもなく、「本来、廃車同然状態だったクライスラーインペリアル」を改造して、無理やりなんとか走らせていたという、「ウルトラ警備隊最新鋭の未来カー」であったはずのポインターの移送であったという。
撮影用のポインターが、ろくに動きもしないポンコツで、上り坂では押さなければ走らない状態であったことを知ったのは、筆者も高校を出た頃であったが、そんな、いつ動かない鉄屑になるかもしれないポインターを搬送しながら、神戸へ向かった円谷ロケ陣の心中は、察して有り余る。
とはいえ、筆者が幼少の頃に、ウルトラに目覚め、ファンを続けながら大人になるまでの間に、一番夢が壊れた瞬間というのが「ウルトラマンや怪獣の中には人が入っているんだよ」でもなければ、「アンヌを演じた菱見さんは実は大酒飲みで、あのハスキー声は酒で喉が潰れたからでありしかもセブン当時はスタッフの注意も聞かずに酔っ払いまくったもんだから、ついに満田監督とかが怒ってアンヌを干したこともあって、だからアンヌが出ない回があったりするんだ」でもなく、夢の未来科学自動車・ポインターが、実はおんぼろのポンコツであったという、そこが一番ショックであったのだ(笑)