今回もまぁ、自著の宣伝枠なんですけれども(笑)
小説を書いてて思うのは、僕はとことん、総合芸術には向いていないコミュ障のエゴイストなのだなァというところ。
その昔は、自主映画の監督なんてことも、真似事レベルでやってみたし、その後もプライベートの作劇で、総監督的立ち位置で何人かの協力者に集まってもらって指揮を執った経験はあるのだが。
なんというか、大賀さんダメ監督の典型なのである。

要するに簡単だ。
この役割を担うこの人には、こういう能力があると洞察した。だからこの人がポテンシャルを発揮すればこれだけの結果が出せるだろう。そこまでは洞察して判断する。しかし、「その領域と方向性へ、導く」をやらないのだ、この馬鹿ッたれは(笑)
自主映画にしろ、プロの声優の群像朗読劇にしても、こっちがこういう芝居をしてくれれば、自然とそっちはこう受け止めるよね、その演技の方向性だと、と分かってても、それを巧くコミュニケーションして伝えたり導いたり、そもそも理解してもらうプロセスで何をするべきかの、術というか手札を何も持っていないのだ。
これは、総合芸術創作者としては致命的である。
致命的ではあるが、唯一幸いなのは、そんな致命傷を抱える僕本人が、誰よりも早くその欠点に自覚を持っていたので、それらしい仕事は、学生時代の自主映画の監督と学生演劇の総合演出の他は、商業の世界では、先ほども書いた「新人声優を10人近く集めて興行した、ニッポン放送主催の朗読劇『カミサマ未満』(2014年)」ぐらいのものであるのだ。

この『カミサマ未満』に関しては、今だから言えることも、今でも言えないこともあって、面倒くさいんでいろいろ全部墓までもっていってしまおうという作品ではあるのだが(笑)一応「巨大資本主催」の「商業演劇」で「企画・脚本・演出」を兼ねた作品ではあるので、結果はどうであれ、そこで僕の全ての能力は推し量れるのだ。
一応キャストはといえば、当時まだ無名だった根本流風をはじめとして、高木友梨香、臼井晴菜、村田綾野、若狭みなと、長崎聖捺、雨宮奈都未、関汐帆源馬大貴、高橋理勇と、総勢11人の新人声優が集った、ちょっとした晴れ舞台。
しかし、そこでタクトを振る僕はといえば、例によって例のごとく、うまく脳内イメージを伝播できない。
まぁこの時は、もっと酷い条件が重なってそれどころではなかったのだが、墓までもっていくと決めた話のこぼれ話はいずれ他の項で書くとして(笑)

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