『ガンダム』の構造論の逆算

一方で、ガンダム玩具のギミックの肝でもあるコアブロックシステムは、ここへ来てようやく第7話で合体シーンが登場、続く第8話では、さすがに戦場でではないが、ガンタンクとガンキャノンへのコアブロック収納描写が挿入される。
シャアが一度、既存の作品の「仮面の貴公子悪役幹部」ではないという刻印を遺し、表舞台から一度退場したタイミングで、アムロのガンダム、カイのガンキャノン、ハヤトとリュウのガンタンクという、スーパーロボットアニメ必須のトライアングル体制が整い、整理整頓が一度落ち着く。

その直後に、アムロは、まるで『帰ってきたウルトラマン』『タッコング大逆襲』の郷秀樹のように、一度組織から抜け、一人、自分を見つめなおす時間を通過儀礼として迎えるのである。
アムロの場合、そこで、さらなる「人として何もかもかなわない、大人の男と女」と出会うことが、スーパーロボットまんがとしては「新たな強敵新幹部登場」であると同時に、グフが「敵の最強メカ登場」であるように、ランバ・ラルという男と、クラウレ・ハモンという女性と、グフというモビルスーツが、アムロをニュータイプへと導く指針になっていくのである。

スーパーロボットまんがとしては、その先だからこそのGアーマーであり、メインヒロインのセイラのパイロット昇進(?)であり、敵の新型続々登場シリーズ展開であり、ララァでありエルメスなのだ。

尺の関係で、以降は次回に譲るが、かように『ガンダム』は、崇高な人間ドラマかくありき、高尚なテーマ性かくありき、ではなく、スーパーロボットまんがが、その縛りやお約束を放り投げるのではなく、それらの要素を、より“らしく”見せるための人物配置や構造論、演出論の積み重ねで成り立っている作品であり、それは「まずは玩具用メカデザインありきで企画が始まり、くだらなすぎる玩具デザインを用いて、せめてドラマらしいドラマっぽく見せるためには、哲学のようなハッタリをもちこむしかなかった」という始まり方をした『伝説巨神イデオン』(1980年)にも通じる読み解きなのである。

アムロ「このー!」
「うわっ!」
マーカー「そ、そうだ、うまくいくかどうか分かりませんが! セイラさん、発煙弾のセイフティを解除して発射筒内で爆発させるんです」
セイラ「かなりの損害が出るけど、それで敵の眼を欺ければ助かるわ! ミライ?」
ミライ「任せるわ……私……ブライト……リ、リュウ……助けて……」
オスカー「レーダーから消えました!」
セイラ「……助かったのね……」
ミライ「……セイラ……。セイラ! 連邦軍のレビル将軍宛に暗号伝聞を打って頂戴!……」

次回「『シン・機動戦士ガンダム論』第22回『ロボットアニメとしてのガンダム・3』」
「リアルな未来戦記アニメ」のビジュアルに裏打ちされた、ヒーロー物の定番要素をさらに検証!君は、生き延びることができるか。

(フィギュア再現画像特殊効果協力 K2アートラクション)


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