大賀 自分という姿やその周囲をとりまく社会という関係を、マクロレンズで広大な位置の中で、俯瞰で捉える視点と、ズームレンズで詳細に接写する視点を、使い分けるというか、映画対談っぽく言えば、Sergei Mikhailovich Eisenstein監督の『戦艦ポチョムキン』(1925年 原題: Battleship Potemkin)みたいに、モンタージュ理論を常に多用していく、最大限、有効に活用していく、みたいなね。

戦艦ポチョムキン

三留 そうそう。ちょっと立ち位置を変えて世の中を見てみれば、物事っていろんな側面が見えてくるから。だから違う意見の人はあってもいいと思うし、だから私も、Facebookでは政治的な思想的な記事をかなりの量を投稿してるんだけれども、それらは全て、web全体公開を大前提にしてあるのね。だから、それを観た通りすがりの人が、難癖(コメント)を付けに来てもいいわけ! それでいろんな意見が交錯しあえば、偏った見解だけではない、より錬磨されたものの見方ってものが出てくるんじゃないかなと思う。まぁ奢った言い方かもしれないけど、みんなでディスカッションが出来る場所を提供できればと、願ってるのね。世の中ではこんなことが起きている。で、「これ」について、あなたはどう思いますか?的な場所。「そこ」から(ディスカッションが)見当はずれな方向へ行っちゃってもいいわけ。「そこ」にいろんな人が集まり、いろんな意見を交わし合う、そこにたまたま通りがかった人が「私はこう思う」。それでいいと思うんだ。それらをみんなで共有して、読んで「あぁこういう意見もあるんだ」と、っていうことを(自分のウォールでは)やっていきたいなと思ってる。

大賀 現実には「原発推進・反対問題」も「南京大虐殺肯定・否定問題」も、10年、20年のスパンで、泥沼化してマウントの取り合いになってしまっている。

三留 その二つに限らないんだけど、一番「やってはいけないこと」って「なかったこと」にしようとするっていうことをしてるのね。原発事故も、事故自体はなかったことにはされてないけれども、その後の放射線の影響問題に関しては「何も問題はない」とか明言しちゃってる人たちがいるわけでしょう? 少なくとも原発事故の放射線汚染も、南京大虐殺も確実に「あった」。それをなかったことにしようとしている。犠牲者の数の問題じゃないんです。確実に(南京大虐殺は)「やった」んですあれは。それをなかったことにするっていうのは、すごく恐ろしいと思う。

大賀 そういう、歴史修正主義。もう最近だと、そういう「日本大好き!」な人たちの、目的と手段が入れ替わっていて。あの、大日本帝国最大の噴飯的「やらかし」の真珠湾攻撃ですら、「ルーズベルトの謀略にはめられた悲劇の日本が、戦争で悪役のレッテルを貼らされる罠に落とされて、やむなくやらされしまったことであって、日本は本当は悪くなく、全てはアメリカの陰謀だ!」とかになってるんですよね。いや、お前たちはいったい、何の世迷言を言い出してるんだよって話なんですけどね(笑)

三留 ひどいよねぇ。まぁだから「(アメリカは日本の真珠湾攻撃を事前に)知っていた」ぐらいまでは、まだいいのよ。でも「わざとやらせた」とかね。本当は、ちょっと考えれば分かることなんだけれども、彼ら(愛国者)は都合が良いことを信じたい。そこに上手く誘導する人たちが確かにいるんだよ。

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