三留 うん、そう。だからいろんな選択の仕方があって、「それ」は自分で選べるんだからね。だけど「何もしない」っていうのは、政権党、それは現状では自民党だけど、その自民党に一票入れてるのと一緒。だから「何もしない」人は、自民党が何をどうしても、政治の結果、どんな不自由に見舞われても文句が言えない。ただその「文句が言えない」の巻き添えにされるのは、まっぴらごめんだよね。

都道府県別投票率

大賀 そう考えていった時に、僕らの世代が、うわーやべーなぁと思うのは。三留さんと同世代の、例えば町山智浩)さんなんかは、すごくクレバーに、映画の批評や宣伝の形を借りて、社会批判や体制批判を「分かりやすく噛み砕いて」ラジオやメディアで発信し続けている。でも、Twitterでは、そんな町山さんですら、素人のウヨク脳の馬鹿から炎上させられるわけですよ。揚げ足とられて。

三留 まぁね。でもそれが怖いって言って辞め……ちゃわないからね! 町山くんは。でもまぁ町山くんも、ネットで私生活暴かれちゃったりとか、大変みたいだけどね(笑)

大賀 いきなり町山さんの名前を出して、何が言いたかったかというとね。僕は自分の原風景探しを、様々な映像作品に求めることを一つのライフワークにしてるんだけど、たまに強く印象に残っていることがあって。小学生のころ、もの凄い社会現象ブームだった『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)っていうアニメ。僕は『ウルトラマン』派だったから、クラスの中で一人浮いてぽつんとしていたんだけれども、ヤマトに夢中だった友達に「いいから観てみろ」って力説されて、仕方ないからってテレビの再放映を観た時に、嘘偽りなく「あ、このテレビ漫画を作っている大人たちは、何か僕たちを騙そうとしている。とても怖いことを洗脳しようとしているな」って感じたんですよ。今思えば、僕の体の中には生まれながらのサヨクの血が流れていたのかもしれない(笑) でも、そういうベースみたいなものを思春期に改めて自己チェックしていった時に、幼少時に信じられた映画や子ども番組の、送り手とか作家とか監督とかって、まず「あぁ、この人の作った作品を指針にして生きてきて、それは間違ってなかったな」と再確認出来た。それは今向かい合ってる三留さんも、冒頭で言ったように僕のスクリーンの初恋の人だし、「あぁ僕は、人を見る目だけはゆがんでないんだ」という自身にも繋がっていて、それは町山さんの90年代のサブカル映画評論に惚れ込んだ部分にも言えることなんです。だから、僕は何があっても、町山さんは応援し続けていきたいと思ってる。

三留 そうなんだよね。そうやって、時々立ち止まって、自分の立ち位置を見るみたいな。それと、SNSとかFacebookっていうのはどうしても、自分と似た思想や価値観の人たちが集まってきちゃうでしょ。そうすると、その箱庭の外の社会全体が見えなくなっちゃうこともあるわけです。だからそこで妄信的に、間違った方向へ一気に行ってしまう怖さもあるよね。

大賀 だから僕は、Facebookはよほど気心の知れた人か、プライベートもお付き合いある人しかウォールに入れないから、そういう意味では閉じたコロニーに籠っているとも言えるんだけれども、自分へのカウンターとして、Twitterでは保守愛国思想の人とも、不干渉前提で相互フォローしていたりもする(笑)

三留 だからやっぱり「一瞬退いて、ものごとを見てみる」みたいなことは大事だなぁ。

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