『戦国自衛隊』誰も計算しなかった究極メディアミックス・小説編
『戦国自衛隊』誰も計算しなかった究極メディアミックス・漫画編
思春期中二病ど真ん中で、映画『戦国自衛隊』を観るということ
12回観た!
12回だ。しかも全部、封切劇場公開中の映画館でだ!
多分、一か月そこいらの上映期間中だったが、がっつり12回も劇場へ足しげく通った映画は、後にも先にもこの『戦国自衛隊』(1979年)ポッキリだ!
もうね、それこそ「手塚治虫氏にとっての『バンビ』」「三留まゆみ嬢にとっての『ファントム・オブ・パラダイス』」ぐらい、この映画は大河さんの人生The movieと言い切れる一本で!
事の始まりは中学生時代。
大河さんが通っていた中学校の、二年上に薬師丸ひろ子嬢がおりまして。
半ば、押しかけるような形で、悪友たちともども仲良くさせてもらって、ちょうど当時、映画に浮かれ始めてたもんだからっていうタイミングで、薬師丸嬢にくっついて通い始めたのが、当時の角川書店で、角川映画宣伝専門雑誌と揶揄されつつ、大友克洋氏や新井素子氏や久住昌之氏等が連載を持つ、サブカル臭満点の極上雑誌『月刊バラエティ』の編集部。
そこで僕は、読者投稿欄のはがき部分をそこの机で書いたり、久住昌之氏の「一日体験ホームレス」とかって企画で、差し入れ役や買い物係でお手伝いなんかをしつつ、本誌の「薬師丸ひろ子応援企画」みたいなノリで「今度、薬師丸嬢が、戦国時代劇映画で『子どものような武士』って役柄で出るから、現場へ行って、足軽の死体役で出演しよう!」みたいな役目を仰せつかって、『戦国自衛隊』のロケに参加。
当時撮影中だった、黒澤明の『影武者』(1980年)を超える規模の合戦シーンという触れ込みも伊達じゃなく、編集長から記念にと台本を一冊渡されて、公開前からテンション上がりまくり!
公開されてからは、学校もデートもすっぽかして、暇と金があれば映画館へ向かってしまうかなりの中毒症状で、最終的には中学校の放課後で、クラスメイト達にそそのかされては、台詞から爆音から擬音から間合いまで、全てを記憶した己の身一つで、2時間半の映画の尺を、一人完全再現することに成功。
なにが成功なのか、当時も今もよくわからないまま「勝ち負けで言えば多分勝ち」という、アバウトな判定基準で現在に至っている。
この映画自体に対する逸話を、いろいろ語ろうと思えば思うほど、双葉社が2005年に発売したムック『戦国自衛隊大全』で先に語られているという現実がムカつくので(註・八つ当たりです)、今回は引用対象を、当時頂いた台本とは別個に購入した、文庫版『シナリオ 戦国自衛隊』に選択するに落ち着いた。
もう、何から語っていいのか分からないぞこの映画!
なぜなら好きすぎて! 好きすぎて!(二回書いてみました)
この映画が、美少女が作ってくれたオムライスより好きな男子であれば、一度は誰もが、必ずアナログ式の腕時計を、意味もなく「5時18分」で止めてみせて「見ろ、俺の時計も5時18分で止まっている」とか、見せ合いっこをしたことがあるはずだ! この映画が好きならばな!
それに、本当にこの映画が好きであれば、当時当然、田宮模型1/35で発売されていた、61式戦車や兵隊のプラモデルを買い集め、スケールは違うんだけど、フジミからシコルスキーのヘリコプタープラモデルは出てるんだけど、これS62じゃなくてシーキングじゃねぇかよ、微妙にディティールが違う上に、スケール全くあってねぇし! とか文句を垂れながらも、アオシマからこっちも1/35スケールで、「日本の歴史ミニチュアモデル」シリーズで、戦国武将とか足軽とか出てたから、それとあれとこれと絡ませて、畳半畳くらいのジオラマを作ったよな? 好きならばな!
もう、この辺りで大河さん、これを今読んでくれている読者さんを、遠く置き去りにしてる後悔感が半端ないんだけど、もうこの際だからね。とことんいっちゃうからね!
もうね、上で書いたジオラマだって、中学生なりに必死に作ったのを、当時はB編集長が「はっはっは。面白いねぇ」とか言って、『バラエティ』の誌面に載せてくれちゃった過去バレですからね。
んでもって、半村良氏の原作版と、田辺節雄氏の漫画版にまで(まぁ当然っちゃー当然なんだけど)ドハマリした結果、それまで作ってたジオラマとはまた別個に、APCとかV107バートルヘリとかをプラモデルで用意して、原作版のジオラマを、そりゃ当然、作るよな? 作らないわけないよなぁ!?
で「映画版ジオラマ」と「原作版ジオラマ」で、四畳半の自分の部屋の1/3が埋め尽くされても、幸せと想いこそすれ、悩まないよなぁ!? なんせ大好きなんだもの!