1970年代の『東映まんがまつり』で上映された、劇場用オリジナル『仮面ライダー』(1971年)シリーズの映画版。今回紹介するのは、『仮面ライダー対ショッカー』(1972年)『仮面ライダー対じごく大使』(1972年)『仮面ライダーV3対デストロン怪人』(1973年)の三本。
どれもこれも、70年代の少年達の心意気と憧れを一身に背負った仮面ライダーの映画版。
どの話を観てもテーマはない。人間ドラマもレトリックもメッセージも何処にもない。
あるのはアクション、転落、大爆発、マクガフィン、転落、爆発、アクション、超爆発。
『仮面ライダー』はその制作初期において、怪人の死を爆発で再現したくとも、予算が足らずに「怪人が死ぬと溶ける」のような描写で誤魔化していたルサンチマンが、大ヒット番組への大昇進と共に噴出したのか、この三本の映画版を見続けていくと、どんどんと(しかもどうでもいいようなシーンでも)爆薬の量がインフレを起こしていき、最終的にはV3映画版では(悪の組織が基地にしているという設定の)無人島を、ミニチュアではなくリアルに「島の形が変わるまで爆破」してしまい、漁業組合から通報を受け、官公庁から本社へ遺憾の意が伝えられたのは有名な話。
ロケで四国へ運んだトラック一台分の火薬を、持ち帰るのは危険だからと、全部爆発に使っちゃえっていうこの東映流発想そのものが、既に「お正月に親戚一同から、いっぺんにもらったお年玉を、考えなしで三が日で使い切った小学生」そのまんま。
っていうか、中東辺りのちょっとしたテロとか内戦状態の爆破作戦よりも、爆発規模は大きいし、その被害も素ででかいとしか言いようがない。
今回の三本はどれを観ても、ライダーシリーズメイン脚本家・伊上勝氏の本領発揮で、余計なテーマどころか、ストーリーらしいストーリーすら用意していない清々しさ。
大体この手の物語のハコでは「正しい事に使えば有益だが、悪事に使えば世界を滅ぼす」レベルの「そもそも途中でもう少し危機管理しとけよ」的な、素敵な発明やら発見をした科学者が悪の組織に狙われて、で概ねその展開で博士は「どういう予測のもとにそんな秘密をそんな隠し方をしたのか」レベルで「幼い娘にあげたプレゼントの縫ぐるみの中」とか「(ロケでタイアップしちゃったから)高知城の天守閣の桟の中」とか、すごく根拠不明なところに重要機密を隠す。
そこからが、まぁ伊上流究極活劇の開始のゴングになる訳で、そうなってしまえば、敵も味方も入り乱れて、どっちが悪役だか分からないレベルで、いないはずの場所から、死んだはずのキャラが、現れたり姿を消したりと目まぐるしく、テレポーテーションででも移動したのか、説明する気もないし聞く気も失せるテンポで、瞬く間にハーフタイム無しのフルマラソンバトルが始まってしまうのだ。
筆者が以前、ウルトラマンシリーズや『コメットさん』(1967年)等の子ども向けドラマで、監督を務めておられた山際永三監督等にお話を伺った時なども、監督はご自身の作風を「東映の『仮面ライダー』なんかとは違う」と仰っていたけれども、その当時、半ズボンで巨人の帽子をかぶって缶けりとライダーごっこで日々を過ごしてた、僕等ボンクラ小学生の悪ガキ達は、皆「そっち」へ流れて行ってしまったものだった。