市川森一氏が1993年に、日本テレビ開局40周年記念スペシャルドラマとして脚本を書いたドラマ『ゴールデンボーイズ 1960笑売人ブルース』(脚本は、『市川森一ノスタルジックドラマ集』に収録されている)の中で、こんなシーンがある(ちなみにこのドラマの演出は『パパと呼ばないで』(1972年)『前略おふくろ様』(1975年)『熱中時代』(1978年)シリーズの田中知己氏)。

1960年代当時、売れっ子コント作家として、テレビバラエティ界の頂点で輝いていたはかま満緒(演・三宅裕司)の家の前に、伝説のコメディアンでもあり、ボードビリアン(大道芸人)でもあった、泉和助(演・堺正章)がやってくる。

ちょうどはかま邸の玄関前では、帰宅しようとしていた、はかまのマネージャーの浅井良二(演・渡辺正行)と鉢合わせになり、二人はこんな会話を交わす。

浅井「和っちゃん先生!」
和助「いる?」
浅井「みんなでコント道場やってますョ。手伝ってやって下さい」
和助「俺ァ、飲みに来ただけだぜ。ここで飲む分にはタダだからよ」
浅井「まァ、ごゆっくり。いくら飲んでも車にだけは用心して下さいよ」
和助「浅井ちゃん。八波むと志が死んで、何日経った?」
浅井「もう、四ヶ月過ぎました」
和助「八波むと志のマネージャー、中川プロの浅井といえば、結構我が侭の利く顔だったろうに。つっかい棒なくして、辛くないかい?」
浅井「動き回ってりゃなんとか……」
和助「八波みたいなスターのあとに、海とも山ともつかねぇガキ相手じゃ、やってられねぇだろう?」
浅井「やるしかないです。あとは運でしょう」
和助「『運がよけりゃ』♪……か」
浅井「そう『運がよけりゃ』♪(と、車に乗り込む)」
浅井を乗せて走り去る車
和助「(見送って)『運がよけりゃ……この世は天国サ』♪」

市川森一『ゴールデンボーイズ-1960笑売人ブルース-』

”With A Little Bit Of Luck”という言葉は、日本で『My Fair Lady』が、ミュージカルの舞台演劇として演じられた時、「運が良けりゃ」という言葉に訳された。
日本版ミュージカル舞台『マイ・フェア・レディ』東宝の演出家菊田一夫氏により、1963年に東京宝塚劇場で、日本初のブロードウェイ・ミュージカルとして上演されたが、その時、イライザの父 アルフレッド・P・ドゥーリトル役としてこの歌を歌ったのは、当時、由利徹南利明と共に、日本初のお笑いコントユニットとして結成された、脱線トリオを解散してソロ活動したばかりの、伝説のお笑い芸人・八波むと志氏であった。

脱線トリオは、当時の一世を風靡したお笑いユニットであったが、解散後、八波むと志氏は『マイ・フェア・レディ』で国民的俳優へと上り詰めた直後に、交通事故を起こし、この世から去った。
享年38歳であった。

1963年版 東京宝塚劇場公演『マイ・フェア・レディ』残存映像

その八波むと志氏のマネージャーを務めていたのが浅井良二氏である。
浅井氏は、八波氏逝去後は、日本の喜劇界に今も名を残すコント作家・はかま満緒氏のマネージャーになるが、そこで知り合った、無名の若手芸人・萩本欽一(演・小堺一機)氏の才能に懸けてみることにして、萩本氏と共に、はかま氏の下から独立後、浅井企画というプロダクションを立ち上げて、それからはコント55号の黄金時代を支え続けた。
その後浅井企画は現代でも、キャイ~ンどぶろっく飯尾和樹等の、お笑い芸人を育て続けている。

一方、このドラマで堺正章が演じた、泉和助という人物も、お笑い界やテレビ史の表側ではあまり名を聞かない人ではあるが、戦後初期に彼が立ち上げた一座には、一時期数百人の団員がひしめいていて、日劇ミュージックホールをポータルにして、玉川良一関敬六、ミッキー安川、E・H・エリック岡田眞澄兄弟、トリオ・ザ・パンチ等を育てたという。
そんな泉和助氏も、喘息や糖尿病、心臓病などを患い、離婚後、ひっそりと暮らしていた貧乏アパートの一室で死んでいるのを、1970年の2月に発見された。
享年51歳であった。

ドラマ『ゴールデンボーイズ』の劇中では、その泉和助の死を発見したのが、若き日のポール牧(演・陣内孝則)という展開になっており、死体の第一発見者として、警察に出頭させられたポール牧は、そこで担当した刑事達からの「泉和助って、どの程度の喜劇役者だったの? ウチの署じゃ誰も知らないんだが」と、小馬鹿にしたリアクションに対して
こう答えた。

ポール牧「誰なら知ってます? 刑事さん達」
刑事A「そりゃ、トニー谷とかフランキー堺クラスなら、我々でも知ってるけどサ」
ポール牧「その人達から、先生と呼ばれていた人ですよ! 泉和助は!……(去る)」

市川森一『ゴールデンボーイズ-1960笑売人ブルース-』

市川森一のドラマ『ゴールデンボーイズ』は、ポール牧のラッキー7なるコンビの相方・関敬六(演・北野武)が歌ってヒットを飛ばした往年の名曲『浅草の唄(作詞・サトウハチロー)』の替え歌で幕を閉じる(替え歌を作詞したのは市川森一氏)。

悲しみばかりが 人生じゃない
夢がなければ 生きられぬ
明日はいいことありそうな
そんな気がして 微笑めば
あぁ コメディの幕が開く
あぁ 人生の幕が開く

市川森一『ゴールデンボーイズ-1960笑売人ブルース-』

運がよけりゃ この世は天国サ

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