選ばれし八人の勇者たちよ
いや、まだこの基本設定の段階では致命的にヤバくはないのではあるが、そこでリアベの実とやらが選び出す「勇者」のメンツが、心意気の奥底までヤバ過ぎる。
千葉真一はいいだろう(いいのか?)なにせ王子だし、ハンスだし「世界の千葉」だ。 そして事実上主役の真田と、彼とコンビを組んだ「謎の欧米人青年」もまぁ良いだろう。
二人が掲げる「宇宙暴走族」という冠が、どうにもこうにも嫌予感を爆発させるが、その二人と、また友人関係にある欧米人ギャル系お嬢様も、まぁよしとしようこの際だ(ちょっと待てよ?「どの際」なんだ?)。
そしてまた、東映がこの映画に社運を賭けた意気込みを、全て怨念の形で引き受けたかのように米国から招き寄せられた、かつてのハリウッド大俳優Vic Morrowが、ドンキ・ホーテの仇名に相応しく、リアベの勇士として選ばれるのも、むしろ当然のことだと解釈しよう。
えぇいこの際だ(だから「どの際」なんだ?)オマケにそのVic Morrowがお供に据えている「『スター・ウォーズ』のR2-D2を、ものすごい安い予算と手間でパクっただけの謎のロボコンもどき」が、理由も根拠も希薄なまま選ばれるのだって、こうなれば、どうだっていいじゃないかと許そうじゃないか。しかも、その「モノクロで今風(あくまで東映が考える「今風」)にしてみたロボコン」画面でのサイズからすると、どうやらこのFRPのカタマリ着ぐるみの中には、おそらく(あくまでおそらくの域を出ないが)子役俳優が押し込められていたと思われる。東宝のミニラや円谷のガラモンなどだと、身体障害で体格が小さいままの俳優さんを、あえて選んで入れることで、怪獣の小ささや演技力をカバーするケースはあったが、そこは東映クオリティ。東映がそんな機転を利かすとも思えず、おそらく「あの」中には、サイズ相応の年齢の子役が押し込められていたのだろう。それでもそれも、この際(だからどの際?)なので目をつぶろう。
しかし佐藤允。『独立愚連隊』(1959年~1960年)シリーズ『暗黒街の対決』(1960年)『日本のいちばん長い日』(1967年)等の岡本喜八監督作品で暴れ、後に相米慎二監督『台風クラブ』(1985年)で、刺青をチラ見せする父親役を好演する、そんな名バイプレイヤー・佐藤允の本作での役どころが、お姫様(志穂美嬢)のお供でやってきていた「下僕A」。
いや一応「ウロッコ」なる役名もあるっちゃあるんだけども、佐藤氏は深作作品はこれが初参加で、正直佐藤氏本人にだって、「なぜ佐藤允がキャスティングされ、なぜその役がリアベの勇士に選ばれたのか」なんて、理解できなかったであろうし、深作演出はそこを一切理解させるつもりもない。
しかも、冒頭から徹底して常に姫の守りにつく身でありながら、実は敵側のスパイであり、さらにそこでリアベの実を手にすることで、真の勇士に至るという、今こうして書いている筆者さえも「佐藤氏の役を結局どうしたかったんだ深作」としか言うしかない設定に仕上がっている。こんな作品でこんな役作りの難しいキャラ設定は、さすが「仁義があるようで全くない世界観における、殺伐さと裏切りと鮮血が飛び交う命(と書いて「タマ」と読む)の取り合い」を描き続ける東映ならではとしか言えない。
八人目がいきなりもうアウトだった
しかし「東映三角マーク魂」の咆哮は、そんな佐藤氏の起用と扱い程度では収まらない。
「リアベの八勇士」最後の一人(になるのかどうか、もはやどうでもいいが)は、名をジャックという、一応SFとか未来とか宇宙っぽい名前にされているが、見た目はただの「ヤクザ映画の画面の端っこでいきがるチンピラ」そのまんまである。 アロハのような極彩色の開襟シャツに、蛇柄のような謎の模様の入った背広を着込み、同じ模様の帽子を被り、出っ歯とギョロ目で関西弁で台詞をまくし立てる男・ジャック。
見た目だけではなく、話し方も物腰も、どこからどの角度で必死に観察しても「ヤクザ映画に出てくる三下チンピラ」から、全くブレない辺りはもはや確信犯。 彼だけを映画から抽出したときにかもし出される雰囲気は、もはや宇宙でも科学でも、未来でも勇士でもなんでもない。画面がいきなり『日本暴力団 組長』(1969年)とか『県警対組織暴力』(1975年)とか『脱獄広島殺人囚』(1974年)とか「そういう世界の作品」にしか、見えなくなるのだ。
ジャックを演じた俳優さんは、名を岡部征純という方らしいが、筆者は殆どその方の知識をもっておらず、この作品において「どうしてキャスティングされたのか」「衣装合わせで何かおかしいと思わなかったのか」「役作りに於いて、深作監督からどんな指示があったのか」また「その演技指導になんの疑問も持たなかったのか」むしろそもそも「出演した映画のジャンルをちゃんと把握しているのか」等々、仮に岡部氏にお会いできる機会があれば、問いただしたいことは山ほどあるのだが、きっとおそらく全ての回答は「東映だもの」で、済ませられてしまうのであろう。
しかしここでもう一度整理するのであれば、このヤケッパチ壮大な宇宙SFファンタジーで「リアベの実によって選ばれた伝説の勇士」として活躍する八人は以下の布陣である。「白馬に乗って現れる、38歳の星の王子様・ハンス千葉」「Vic Morrow」「宇宙暴走族A(註・真田広之)」「宇宙暴走族B(註・誰も知らない外人青年俳優)」「とても上流階級に見えないお嬢様(註・誰も知らない外人お姉ちゃん俳優)」「モノクロで仕上げただけの、ロボコンもどきの安いロボット(しかも中身は子ども)」「佐藤允」「チンピラスタイルで関西弁でまくしたてるどこからどう見てもチンピラ」
初期設定から行き当たりばったりというのは快挙である
これではもはや『里見八犬伝』『スター・ウォーズ』というよりも『アパッチ野球軍』とか『アストロ球団』とかのメンツである。
どう考えても、リアベの実が勇士選択において精神錯乱に陥っていたか、面倒になって、その場しのぎの思いつきで勇士当確を乱発したとしか思えない。作ってる側も思い付きなら、登場するキャラも全部「思いつきで」行動するこの映画。成田三樹夫の悪の帝王と、魔女老婆風のその母親(演ずるは天本英世!)母子は母子で「なんか偶然綺麗な星を見つけちゃったんで、手に入れたいぞなもし」レベルの発想で、地球への総攻撃を命じてしまうし、それを受ける形になった地球も地球で「俺たちの丹波」こと丹波哲郎氏が「地球連邦評議会議長」という肩書きで特別出演し、何をするかといえば、酒場で燻ってるVic Morrowのところに行って「君に親善大使としてガバナスへ行ってもらう間に、時間を稼ぎたい」とか、二十秒先のことしか考えてないアイディアで「旧友で親友」のVic Morrowに、事実上の死の決行を提言する。
「10万人が駄目だったら1万人でもいい! 1万人が駄目なら千人でもいい! 千人が駄目なら100人でも、100人が駄目なら一人だっていいんだ!」と、まるでバナナの叩き売りか、祭りのテキヤのように熱く叫び、最後の最後まで日本人を救おうとしていた『日本沈没』(1973年)の山本総理魂は、いったいどこで失われてしまったのだ丹波!
というわけで、文字数も尽きかけてきたので、続きは次回に回すことにしよう。なぁに「日本SF(あくまで東映)の最高峰(当時の東映の)スペースオペラ(理解していない)超大作」なのだから、こんなオイシイ素材を、一回で終わらすのも、勿体無いというものだろうし(笑)というわけで、次回に続きます!