出渕 でも、円谷プロの中って右も左も仲良くやっていたってイメージですね。多分そういう各人の思想信条を互いに尊重していたから良い感じだったのではないですかね。
――そもそも、金城哲夫さんが保守で、そこで沖縄から連れてきた上原正三さんが左派でしたからね。
出渕 保守っていうか。金城さんはあまりそういう、政治的なところに(作劇が)いかないようにしていたって感じですね。でもまぁあの時代は活気があったし、まだいまより左右のバランスは良かったと思いますよ。あの時代、自民党がヒールで、それに対して若者文化はカウンターをかましていくという構図があった気はします。だけどいまは文化が権力へのカウンターになり得てない。そんな感じはします。
――敬愛するジャーナリストだった筑紫哲也氏が、生前口癖のように「報道や文化、市民・国民は、常に権力のWatch Dog(番犬)でいなければならない」と仰っていましたね。
出渕それは僕もそう思いますね。政権が保守だったとしても、ある程度国民の意を汲んで、初めてバランスがとれるっていう。そういう意味では昔の自民党はもうちょっと(バランスが)良かった気がするんです。自民党って、いくつかの政党(派閥)が集まって成り立ってるようなもんじゃないですか。まあ、元々保守政党が合体してできたんだから、当たり前なんですが。後藤田正晴さんとか、伊東正義さんとか、宮沢喜一さんとか、他にも野党からもシンパシーを得られる正論を言える人材がいて、層が厚かった印象はありますね。
――自民党政治でも、そうした戦中派の人達が軸になっていた時代では、今ほどの暴走は起きていなかったですよね。70年代までは、同じようにサブカルチャーや表現文化という手段が、人のモラルやリテラシーを育て、正しい社会観みたいなものを育む土壌として機能していたと思うのです。現代では右の人達の論理主義や合理主義で、逆にそれらが育まれない土壌になってしまっているのではないかと。
出渕 実は「右」と「左」って、両極の関係ではないと思うんですよ。単純に右翼と左翼という言葉だけで僕らが「右」と「左」を峻別しちゃうのは、だから間違いの元じゃないかと。お互い論法や視点が違うんですよ。だから同じ土俵で相対化できない。「左の人」っていうのは「上下」で社会を見るでしょう。要するに「権力」と「市民」とか「資本家」と「労働者」とか。階級闘争的なところも含めての「上」と「下」。つまり「縦軸」の視点で。でも「右の人」は違うんですよね。「外」か「内」か、つまり視点が「横軸」なんですよ。「自分達」か「自分達以外」っていう。例えば「それ」が「村」だったら、「村の者」「外の者」、「国」だったら「日本人」「日本人じゃない者」。左の人たちの『自分たち左派は「下」自分たち以外は「上」』と、右の人たちの『自分たち右派は「内」自分たち以外は「外」』。これでは話が噛み合うはずがないですよね。 本当だったら左翼からは右翼は『上』右翼からは左翼は『外』になるはずなんですが、視点が違うからそうはならない、だから右翼と左翼は実は互いに両極ではない。ってことなんじゃないかと。
次回は「出渕裕ロングインタビュー15 最終回 出渕裕と表現文化とイデオロギー」