話はまずは、栗本薫氏が1979年に発表した推理小説『ぼくらの気持ち』に遡る。

『ぼくらの気持ち』という作品の簡単な解説を加えると、タイトルからも分かるとおり、主用キャラクターや作品世界は、1978年に第24回江戸川乱歩賞を受賞した栗本女史の『ぼくらの時代』のシリーズ続編として構築されている。
その『ぼくらの気持ち』は、前作の大学バンド時代の継続世界観の中、モラトリアム青年を主人公にして、出版社に入社した元バンド仲間が絡んだ、少女漫画の世界で起きた連続殺人事件を描くという作品。
作品的には、まだまだ公民館の貸しスペースキャパだった、コミケが作中に登場したり、少女漫画家やアシスタントが、今でいう801・BL漫画の同人誌に熱を上げていたり、時代的にはかなり早い段階で、そういった漫画業界文化を取り入れて、ある種、東野氏の本作における「バレェの世界」のような、「男性には理解できない、女性達だけの閉ざされた異世界」を舞台に、そこの世界ならではの闇が描かれるという、まぁそういう作品であったのである。

で、ここからは思いっきりなネタバレになるのだが、その『ぼくらの気持ち』の連続殺人事件の犯人は、その作品でヒロインになる、香取千鶴・通称ちぃちゃんと呼ばれた女性だった。
ところが、栗本先生さすがですというべきか、あざと過ぎるというか、この「ちぃちゃん」なる女性は、作中では本当に男性読者のツボを押しまくる「清純で、可愛くて真面目で、控えめで懸命で素直な、年下の純真無垢な少女」として描かれ、それはもう、読んだ男性が誰もが感情移入してしまうような、計算され尽した(今でいう)萌えキャラとして構築描写されたのだ。

確かに今から思えば「推理物では、一番怪しくない人を犯人にするのがセオリー」だし、「フーダニットでは、いかにして読者に意外性を与えるかが作家の快楽」とも言うし、その、ちぃちゃんというキャラの描き方も、あまりにもあざとすぎるきらいはあった。
しかし(ここポイントね)推理小説といえば、小学生の頃に、ポプラ社乱歩シリーズを読んだきりで、現代推理小説を読むのが、ほぼ初めての推理小説初心者処女状態だった、あの頃の筆者は、そこで(今思えば初歩的な)作者の仕掛けにコロッと引っかかってしまい、クライマックス、主人公達が確認した「犯人が乗っている自動車」の中で、死体となって発見されたちぃちゃんの描写が書かれたページを読んだ時は、中学生の大河さん、さすがにショックで、ページをめくる手が止まってしまったくらい。

今思えば、それもこれも、栗本女史ならではの計算が働いていて、「一番意外な人物が犯人、という要素を生かすために、香取千鶴というキャラを、必要以上に読者に感情移入させた」というのも、勿論あったのだろうとは思われるが、同時にまた、栗本女史の中ではそれだけ「表向き清純で真面目そうに見える少女が、連続殺人を犯してしまうほどに『少女漫画界』という世界は歪んでいて閉じていて、世間一般からは途絶された閉鎖世界なのだ」を、帰結的に表現したかったのではないかと思われる。

ここからは暴論になってしまうが。
かように、栗本薫『ぼくらの気持ち』と、東野圭吾『眠りの森』は、共に「外の社会の常識や通念が通用しない、隔絶された世界で起きた連続殺人事件」を描き、そしてその犯人は「物語内でヒロインとなる、真面目で純粋で懸命な若い女性」であり、そして「主人公はその事件に関わるうちに、ヒロインに感情移入するようになり、やがてその気持は恋愛感情へ発展していき、事件を解決することでヒロインを守ってあげようと決心し、事件解決へ邁進するのだが、いざ事件の謎を解いてみると、そのヒロイン自身が犯人だったという結末を迎える」というラストのオチに至るまで、奇妙に酷似しているのである。

いや、何も筆者は、そんな理由でパクリ疑惑を持ち出そうとかいうのではない。
「男性読者から見たときに、守ってあげたくなるような可憐なヒロイン女性が、実は連続殺人事件の犯人だった」などという推理小説は、それこそ『ぼくらの気持ち』以前から現在に至るまで、星の数ほどあるだろう(古いところだと、Roald Dahl『おとなしい凶器』かな? かな?)。
それだけを持ってパクリだと言ってしまうと、世界中の推理小説は、全てがコナン・ドイル江戸川乱歩のパクリになってしまう(笑)

ただ、そこに「一般の人(特に男性)にとっては理解しがたい、女性原理の世界を舞台に、その世界ならではの要素が、純粋で真面目な少女を殺人へと導いてしまう」という、バックボーンまでも組み込んで考えると、この偶然は奇妙なものに思える。
また、東野氏自身が推理小説作家を目指すきっかけになった経験として「大学2年のとき(1974年)に小峰元氏の推理小説『アルキメデスは手を汚さない』を読んで感銘を受けたから」と語っている。
小峰氏の『アルキメデス~』は1973年に発表され、その年の第19回江戸川乱歩賞を受賞した作品。
だとすれば、栗本女史の『ぼくらの気持』は、東野氏が推理作家を目指し、推理小説の魅力にとりつかれのめりこんでいた、まさにそのピーク時期に発表された作品であり、また、『アルキメデス~』同様の乱歩賞受賞作品『ぼくらの時代』の直の続編である。

小峰氏の作品に、そこまで感銘を受けのめりこんでいたのであれば、同時代に同じ「現代青春推理ジャンル」で活躍し始めていた『ぼくら』シリーズを、東野氏が読んでいる可能性は非常に高く、また感銘を受けている可能性も高い。
そして(繰り返すようであるが)東野氏自身の初期作品には、『放課後』『卒業』と、そういった80年代小峰・栗本的な「青春群像推理」を題材にした作品が多いのも、事実である。

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