重ねて言うが、筆者はなにも以上の理由をもってして、東野氏が『ぼくらの気持』をパクって、この『眠りの森』を書いたと言う気はない。
実際の両作品は、構成も描写も全く違うものに仕上がっているし、フーダニットの概念以外では、共通する要素は何もない。
だから、もしも東野氏が「そもそも『ぼくらの気持』という作品は読んでいない」と、何かの機会にコメントしたとしても素直に信じるだろうし、そういうものだとも思う。

しかし、間違いなく事実としていえるのは、本作『眠りの森』のフーダニットとそこへの道筋は、紛れもなく筆者の胸の奥に眠っていた、思春期の思い出の小箱の中の「ちぃちゃん症候群」を想起させてくれたのだ。

それは、男性の、誰の中にもある「イノセンスな美少女への憧憬を、必ず裏切る現実」が生む共感であり、栗本氏(女性)にとって少女漫画界とイノセンスな少女は、そもそもの少女が抱き生まれてくる狂気を喚起させる環境であり、東野氏(男性)にとってバレエ界とイノセンスな少女は、少女のイノセンス性を狂気化させてしまうだけの、環境の持つ恐怖という関係性であったのだろう。

しょせん、どこまで行っても男性でしかない筆者には、どちらの因果律がリアルなのかは判定できない。判定できないが、現実には「狂気を抱かないイノセンスな少女」など、どこにもいない。「特異な環境の中で、正気を保てる存在」など、どこにもいない。

どうやら「それ」だけは、動かしがたい事実のようである。

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