また「パロディ」で「ロリコン」といえば、稀代の漫画家・吾妻ひでお氏にも言及しなければならない。
吾妻氏は、もともと自作漫画で登場させる、美少女の可愛さに定評があり、パロディの手腕も、早くから筒井康隆氏の文学性を取り込むなど、先鋭性もあったが、とあるきっかけで、1977年に放映されたテレビアニメ『女王陛下のプティアンジェ』に、過剰なまでにはまってしまった。
『女王陛下のプティアンジェ』は、当時女児向けアニメには珍しかった「推理探偵物」で、ヒロインのローティーン少女アンジェ・アイリントンが、難事件を次々に解決していくという構成。吾妻氏は、このアニメにほれ込み、自作漫画のあちこちで、プティアンジェパロディを盛り込むようになった。
そして吾妻氏は、アングラ自販機エロ漫画雑誌として、当時最大手でもあった『劇画アリス』という場を借りて、ロリコン要素を含み、SF文学の秀逸なパロディでありながら、シュルレアリスム表現としても突出したクオリティを誇り、今もなお伝説となった漫画『不条理日記』の連載を、始めたのである。
それは、70年代から続く、漫画業界の表現闘争の中で、勝ち残れてきた吾妻氏であるから成しえた「本質的なパロディ」ではあるのだが、結果、漫画界では、今まで記してきた数々の「ロリコンとパロディへの流れ」がリミックスして、吾妻氏の劣化コピーが、跳梁跋扈する事態に発展した。
それは、スタンスも冠もそのまま「ロリコン漫画家」と称した、内山亜紀氏のエロロリコン漫画の活躍の舞台が、アングラ自販機エロ漫画雑誌から、「四大少年漫画週刊誌」の一角を担う、『週刊少年チャンピオン』へと移った辺りで(1982年『あんどろトリオ』)ロリコンというテロ現象が、とうとう日陰者でいるべき謙虚さを捨てきった象徴であるともいえた。10歳のヒロイン少女が、毎回、性的に凌辱され、様々な実験体にされ、意味もなくパンツを露出させながら、放尿シーンまで、エンターティメントとして描いてしまう。そこにはもう、何も思想もテーマもなく、ただただ「年端もいかない未熟な幼女を、性的に消費する」現代ロリコンの本質が、露わになった作品であった。
1979年に創刊されたポルノ雑誌『ヘイ!バディー』が、明確なロリコン雑誌に変化したのも1982年。
翌1983年には、成熟した大人のエロティシズムを描いてきたはずの、にっかつロマンポルノまでが(さすがに未成年児童そのものは出演させられなかったが)『ロリコンハウス おしめりジュンコ』という、ブームに便乗したタイトルの映画を制作。前年の、同社の看板アイドルポルノ女優(ある意味、にっかつロマンポルノにおける、薬師丸ひろ子や原田知世を狙った路線の可愛かずみ)を、形だけ主役として扱った『可愛かずみのセーラー服色情飼育』に続き、本格的にロリコンブームに参戦してきた。