『タム・オ・シャンタの牝馬』で、主人公がいつものように(そこはフレミングか初期ゴルゴのように)敵のスパイ女性とベッドシーンを演じた後に、国家という巨大で残虐な力が、次々と悲劇を見せつけた、クライマックスのあとのエンドロール。
平和な街角で再会したマレッタが「ところで、……私カンが鋭いのだよフフン……」と訊ね「浮気した?」「い、いや そんな事はお前……」「したな!」の“笑顔”で落とされるセンスというのは、あぁこの漫画は、『ゴルゴ13』がハリウッドスタイルだとすれば、まごうことなきフランス映画の、フィルム・ノワール辺りに一番近いのだと。
ジャンルとしての「裏社会ハードボイルド漫画」は少なくないが、徹底して「フィルム・ノワール」を、漫画でやり尽した例というのは、本作ぐらいしかなかったのではないか?

代替テキスト
『タム・オ・シャンタの牝馬』

そういう意味では、確かに後発の『MASTERキートン』の方が、ジャンル性は多彩だし、マレッタに、負けず劣らずの百合子という少女の魅力も捨てがたいが。
漫画の波が、ラブコメやロリコンへ向かおうとしていた80年代前半。
それらへの、口火のように見え、先鞭をつけた形になった『裂けた旅券』は、漫画史の中で、非常にピンポイントな立ち位置で「それまでになかった」「その後もなかった」ワンアンドオンリーの完成度を、マレッタという少女の処女性で、打ち立てるのである。
もちろんそこでは、マレッタは元娼婦であるから、処女性等と言い出すのも矛盾ではあるのだが「処女性が、性体験の有無に帰属するものではない」という、それを、日本でいう義務教育年齢の少女で描き、結果的に一組の男女の、バディ物、純愛物として、ありえないほどの綺麗な着地を飾った漫画である時点で、これはもはや金字塔なのだと思える。

ビッグコミック的に、「このジャンルスタイル」を受け継いだ『MASTERキートン』の(アンソロジーとしてのジャンルの)多様性は、「狙った」帰結であった。
『避けた旅券』は、一直線に、主人公・豪介とヒロイン美少女・マレッタの人生の融合へと、着実に物語を進ませる。
その「日本を捨てた流浪者」と「娼婦出身の少女」を繋いだバックボーンが、欧州各国で巻き起こっていた、リアルタイムの悲劇の数々である事が、この漫画の独自性を表しているのだろう。

『MASTERキートン』は、時代が約束してしまった「悲劇への懐古」の物語だった。だから主人公は考古学者で、果てしない過去への懐古を追い求め続けた。
それは事前に計算された世界情勢背景ではなかったが、それよりもたった数年前。まだまだ人類社会が、ボタン一つで瞬時に消滅する可能性と、24時間背中合わせだった時代に、豪介とマレッタは希望へ向かって去っていった。

この時期の青年漫画には、後に後継者がない、スタンドアローンの名作群が多い。
『人間交差点』『浮浪雲』『あぶさん』『迷走王ボーダー』『花平バズーカ』
狩撫麻礼、かわぐちかいじ、小池一夫、雁屋哲、上村一夫
既に金型が完成しつつあった少年漫画よりも、確実に中年向け漫画の方が、革新的であった時代。
だからこそ、大友克洋も生まれようという。

代替テキスト

『課長 島耕作』なんか、捨てっちまえ!
お前等、そんなもんありがたがって読んでいるから、尻小玉を抜かれるんだ。
まずはてめぇの旅券を裂いてみせろ。
合言葉は「ボーダー」だ。

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