勢いで
を書いてから、御厨さと美氏の『裂けた旅券』だけを、単独で改めて書評を書いてしまったのがこちらで
だからというわけではなく、僕の青春、というか思春期のマイフェイバリット漫画でもある、小林じんこ女史の『風呂上がりの夜空に』についても、これ一つに絞って語りたくなった次第。
この名作漫画は、講談社の『ヤングマガジン』において、1984年から1987年にかけて連載され、一時期はテレビドラマ化もされたが、ドラマの方の出来はなんというか「『八神くんの家庭の事情』以上『月曜ドラマランド』以下」以外に、あまり語りたくないので、それで察してほしい(笑)
この漫画は、当時全盛期だった「ラブコメ漫画」という括りに入れられてしまうだろう基本設定であるが、それこそ1960年代の後半に「怪奇・妖怪物ブーム」があった中で、王道は『ゲゲゲの鬼太郎』なんだけど、中にはその、怪奇ブームを逆手にとって社会派人間ドラマを描いた『怪奇大作戦』(1968年)なんて作品もあった、みたいな(実はここ、今回の書評のオチの伏線ね)そんな存在感の作品なのである(いや、『風呂上がりの夜空に』が社会派漫画だ、とかいう意味ではない)。
そういう意味では『風呂上がりの夜空に』は、「舞台は銭湯」であったり「初めての出会いで、少年は少女の危機を救うため、命を懸けて、一生ぬぐえない傷を負ったという『愛と誠』そのままの過去がある」とかの設定をピックアップすれば、いかにも昭和テイストな、王道の恋愛漫画(は銭湯を舞台にしないだろっていうツッコミ待ち)ではあるんだけど、そこで展開する描写や会話、周囲に散りばめられた設定や小道具や小ネタの数々が、一方ではとても個性的で、ワンアンドオンリーなのではあるが、それらがいちいち、バンド系であったり、サブカル系であったり、ものすごく一直線に「『月刊宝島』『ビックリハウス』的な80年代サブカル」風味のまんまなのである。