「翔んで」

脚本家・丸山昇一氏。
丸山氏がテレビドラマ『探偵物語』(1979年)とほぼ同時に脚本を書いてデビューした劇場用映画『翔んだカップル』(1980年)は、監督の相米慎二氏の緻密な演出とも相まって、基本設定こそはトンデモな、高校生カップルの同棲コメディなのだが、そこには大仰な芝居もドラマもなく、淡々と4人の少年少女たちの日常を拾いつつ、その中で交わされる微妙な機微や心情の交錯を、かつてなかった丹念さと精密さで描き重ねた“少年少女群像”の映画である。
「大仰な、大声張り上げ新劇的大根芝居」が、ドラマ主義でもテーマ主義でもないことを、“時代”はもう気づいていたのかもしれない。

そして大事なことは、この映画『翔んだカップル』と『機動戦士ガンダム』に共通するターム。“翔ぶ”こそが、1979年という「終わりの数字」を越えるために、1980年という「はじまりの数字」を受け入れるために、必須の決意、必然的な時代への対応として、選ぶべき道程であったのだろうと、今となっては断言できる。

そう考えると、『ガンダム』で今もまだ、表層的メカマニア、プラモデルマニアの間で経典化して崇め奉られている、“一年戦争の舞台裏の、数々の設定”や“ガンダムやザクの、兵器としてのリアリズム”これらも、それら「仰々しさを打ち消すための、等身大かつ真理の“ドラマ”を描くための背景」この場合映画などで専門用語で言うところの“カキワリ”のような役目でしかなかったのかもしれないという仮説は成り立つ。

デニム「よくもジーンを!」
アムロ「ど、どうする……。コクピットだけを狙えるか? こんどザクを爆発させたら、サイド7の空気がなくなっちゃう……」

ただ、連載後期で語っていくことになるが、富野監督は決して自作を「スポンサーを騙して、ロボットを主役に据えながらも、自分が個性才能ある作家としての自己流好き勝手表現として、“ロボット物”をアリバイにする」という、ポストガンダムで乱発された子どもじみた発想は一切ない表現者であり、むしろその辺りの「アニメの番組を任されているのだから、主役やロボットの玩具はしっかり売れてもらわなければ」というビジネス的義務感はとても強い人であり、逆にそこが過剰に反応を起こすと、「幼稚園バスとタンクローリーと戦車が、緊急事態にはSF飛行メカに変形して、さらにその3機が合体してスーパーロボットになる」などというトンデモ設定をスポンサーからの強制力で渡されてなお、そこからの逆転の発想で『伝説巨神イデオン』(1980年)を作りえたし、「絶対に手掛けたくなかった『ガンダムの続編』を、ビジネス上どうしても請けなければいけなくなった先」で、『機動戦士Zガンダム』(1985年)という、過去のシリーズ続編物にはなかったパイオニア的発想で作劇を行ったのだ。

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