1969年、3月。
脚本家・金城哲夫は、晴海ふ頭から船出した沖縄行きの船上にいた。
『ウルトラQ』(1966年)『ウルトラマン』(1966年)『ウルトラセブン』(1967年)を創り上げ、世間と社会を沸騰させた、真の功績者は今、全てを捨てて、故郷の異国・沖縄へ戻る船上に居た。

進む船が掻き分ける波を、漠然と見つめる金城の心の中には、果てしない喪失感が占め、孤独が広がっていた。
数年間の「異国・日本」での日々が、空虚に砕けていく感触と、それがもたらす痛みを、じんわりと感じ取っていた。
痛み、苦しみが好きな人間などいるわけがないが、それは自分にとって、自分が全てを賭した数年間を、清算するための儀式なのだと、金城は自身に言い聞かせていた。

友達がほしかった。

それだけだった。
でも、そんな弱音は吐けなかった、吐くわけにはいかなかった。
というか、自分でもそんな自覚はなかった。
最初は。

「僕は日本と沖縄の架け橋になるんだ」
そんな夢を抱いて、志を抱いて異国へやってきて、世田谷の片隅の、ボロ社屋の円谷プロダクション招かれて、言われるがままに筆を走らせていくうちに、あれよあれよという間に、いつのまにか人気スター作家に押し上げられていた。
天才ともてはやされ、マスコミが追いかけ、一躍時の人にのし上げられた。
でも金城は、そんな状況を望んではいなかった。

友達がほしかった。

『ウルトラマン』 (1966年)

『ウルトラQ』を経由して制作が始まった『ウルトラマン』では、番組が社会現象化して、数多くのスタッフが集まった。
そこでは様々な作家や演出家が集ったが、その渦の中で、常に笑顔を振りまき社交的に接しながらも、金城の胸の中には、寂しさと不安感が募り始めていた。
誰かが分かってくれるかもしれない。
誰かが分かってくれればいい。
自分にそう言い聞かせて、彼は作品に自分の抱く悲痛な想いを込めた。

「わるいかいじゅうがあらわれて、さっそうとあらわれたうるとらまんがたおす」

それだけに見える物語の中に、金城は悲痛な思いと願いと、そしてSOSを込め続けて、送り出し続けた。
『謎の恐竜基地』(金城哲夫脚本 満田かずほ監督)『恐怖のルート87』(金城哲夫脚本 樋口祐三監督)『怪獣殿下』(金城哲夫・若槻文三脚本 円谷一監督)
そこには、子どもでは決して到達できない、いや、大人ですらも掴み取ることが出来ないようにひっそりと、そして入念なバリアを張った「金城の泣き声」が込められていた。
分かって欲しいのならば、分かりやすく描けばいいじゃないか。
誰もがそう思うだろう。むしろそれが正論だろう。
けれど、金城はそれをしなかった。いや、それをしたくなかった。
作品に張られた、何重ものバリアやカラクリを潜り抜けて、自分の「核」まで辿り着いてくれる「誰か」を、待ちたかったのだ。

それを乗り越え、辿り着いてくれる人ならば、きっと「ともだち」になれるのだと、それが金城の信心だったのだ。

金城は、それを信じて必死に頑張り続けた。
周囲と社交的に接し、豪放磊落でポジティブな自分を演じ、それでも、いつかどこかから、現れるかもしれない「あなたの作品を観ましたよ。あなたはきっと、寂しかったんですね。もうだいじょうぶです。私がいます。あなたは一人じゃない」そういって、笑顔で手を握ってくれる「誰か」を、必死に待ち続けていたのだ。
そんな「誰か」が現れることだけが、金城を異国にして生きるエネルギーにしていたのだった。

金城は当時既に結婚していたし、友人もちゃんと数多く存在していた。
その、最もたる「友人」は、円谷プロ長男にしてTBS演出部のエース・円谷一と、脚本家の先輩にして、金城を一人立ちさせようと、兄貴分として手取り足取り世話を焼いてくれた山田正弘、そして同郷人にして盟友の、上原正三だったのだろう。
金城は、三人に対してかなり重心が傾いた友情を感じていた。
もちろん、円谷も山田も上原も、金城の友人と自認していたし、そこでは基本的には「双方の思い違い」などなかった。

どこからだろう。全てが狂ったのは。

金城は船の先端に立ち、遠く海岸線の向こうに見えるかもしれない、これから帰る故郷を見つめていた。

どこからだろう。全てが狂ったのは。

金城自身が、身の程を超えた環境と評価の中で、ギリギリだったのかもしれない。
作品にいくら想いを込めても、誰もそれを受け取らない結果が、延々とリフレインされて、それが次第に金城自身を蝕み苦しめる日々が続いていた。

ギリギリだった。
「誰かいませんか。誰か僕のことを、分かってくれる人はいませんか」
そんな叫びをいくら作品に込めても、戻ってくるのは
「いやぁ! 良かったよ今回の話。怪獣がかっこよくて、特撮が派手で面白かったよ!」
そればかり。
いや『ウルトラマン』はそんな番組なのだから、それが正しい結果なのだ。
そういう評価を、嬉しく思わなければいけない。
金城はそう自分に言い聞かせ続けていた。

しかし、現実は金城を、ギリギリのところまで追い詰めていた。

その堤防決壊のきっかけは、実相寺昭雄監督と佐々木守の参入だった。
『恐怖の宇宙線』(佐々木守脚本 実相寺昭雄監督)
その作品は、一見なんでもない異色作に見えた。赤の他人には。
しかし、金城の中では決定的な決壊に繋がった。
自分のやってきたこと、込めてきた想いの全否定がそこには在った。
それは、金城だけが抱いて、誰も理解できなかった要素だけに、それが全否定だったことを知る者も、金城しかいなかった。

誰も確認できない、内なる世界の崩壊。

金城は追い詰められた。
はじまった決壊は、被害最小限のうちに食い止めなければならない。
『遊星から来た兄弟』(金城哲夫脚本 野長瀬三摩地監督)
これを書いた時点では金城は、まだまだ必死に冷静さを装った。
なんでもないよ。平気だよ。自分に言い聞かせた。
きっと、実相寺も佐々木も、悪意なんかもちろんそこにはなく、そこで自分が全否定されたのは、偶然なんだと思い込もうとした。

しかし、佐々木も実相寺も、全くの悪意のないまま、その行いは非情だった。
『故郷は地球』(佐々木守脚本 実相寺昭雄監督)
その作品は、『恐怖の宇宙線』ではまだコメディタッチで和らいでいた「金城の本質の脆弱性」を、見事に貫くテーマと描写で描かれていた。

金城は壊れた。
その作品への反論と反撃を、繰り出す作品で次々と行った。
『まぼろしの雪山』(金城哲夫脚本 樋口祐三監督)『禁じられた言葉』(金城哲夫脚本 鈴木俊継監督)
それは、突き放すように閉じた口調で語られ、一方でヒステリックなまでに攻撃的な側面を持ちつつ「それでも分かってもらいたい」という、痛々しいまでの願いが込められた、必死の作品群だった。

同時に。
金城は助けてくれ、と願った。
誰か! 今の俺に手を貸してくれ! このままじゃ俺は壊れてしまう!
しかし、誰も手を貸さなかった。いや貸せなかったのかもしれない。
なにせ、金城の悲痛な魂の慟哭は、その作品の中だけに、厳重に閉じ込められ、容易にそこに辿り着けないように、他の誰でもない、金城自身が仕舞いこんでいた物なのだから、それを他人に分かれというのは無理難題だったのかもしれない。

しかし。
金城自身が、何かギリギリのところへと追い詰められ、窮地に陥っていることだけは、その作品から窺えたはずである。
ならば、その原因や核が理解できなかったのだとしても、「ともだち」であるというのなら、まずは何がなくとも手を差し伸べるくらいは、そこくらいはまず出来たのではないだろうか?
「ともだち」であれば。

佐々木・実相寺はその追従の手を緩めなかった。
『怪獣墓場』(佐々木守脚本 実相寺昭雄監督)
その作品は、金城の魂の奥にある、最後の砦をぶち壊した。
金城は、ノイローゼ直前状態に陥り、今まで自分が守り通してきた物全てをぶちまけるように、狂気の絶叫のような作品を送り出して、最後の抵抗を試みた。
『小さな英雄』(金城哲夫脚本 満田かずほ監督)
そこには、今までの金城作品にみられていた「調和の柔らかさ」が消失していて、佐々木・実相寺作品へのヒステリックな反論と、テーマの押し付けとギャクギレのようなものばかりが目立っていた。

そこまでくると、さすがに周囲も気がついていた。
金城に残された手段は「なりふり構わず気付いてもらうこと」だけだった。
それによって、誰かに手を貸してもらうこと、助けてもらうこと。
それしか今の窮地を脱する方法はなかった。
他力本願であるが、しかしそのために金城は、「理解してもらうに必要な対価」を支払った。

はずだった。

現実は。
兄貴分と慕っていた山田と、盟友と思っていた上原が選んだ対応は。
山田は、金城と佐々木の間に入った大岡裁きの仲裁に徹し、上原は円谷一と組んで出した回答は「無視」だった。
『射つな!アラシ』(山田正弘脚本 満田かずほ監督)『宇宙船救助命令』(上原正三脚本 円谷一監督)
この二つの山田・上原作品は、それぞれ金城対佐々木・実相寺の状況を知りつつも、どちらも「火中の栗は拾わない宣言」であり、事実上の無視であった。

嘘だろう!
円谷文芸室での仕事を終えて自宅に帰り、酒を飲んで何度もそう叫んだ記憶が蘇える。
確かに、内なる苦しみを「分からないように」書いたのは自分だ。
だからそれを分かれとは言わない。
しかし、だから俺は、最後にはなりふり構わずに『小さな英雄』を書いたじゃないか。
それなのに、無視なのか!
その想いは、金城のエゴイズムでしかなかったが、確固たる不信感として、決定的な亀裂を創り上げた。

金城は、最終回『さらばウルトラマン』(金城哲夫脚本 円谷一監督)のラスト、ウルトラマンが地球を去るシーンで、子ども達が呼び戻す声に対して、イヤイヤと首を振るウルトラマンを描いた。
「ともだち」であった円谷一は、その部分だけは映像化しなかった。

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