しかし、その行動原理は決して滅私奉公のそれではない。

アキラ少年は、既にこの時点でヒドラとの蜜月的な閉じた関係を構築しており、ヒドラは、アキラ少年に魂を与えられた恩と絆を感じて、アキラ少年を殺した自動車に、復讐しようとしただけなのだ。

それは決して、アキラ少年がヒドラに依頼したことではないだろう。

ヒドラは純粋に、アキラ少年のためを思って立ち上がり、外の世界から自分が「凶暴で恐ろしい怪獣」の汚名を着せられることを覚悟の上で、実体を持って、ハイウェイを襲い続けたのだろう。

自分を生んでくれて、自分にとって「たった一つの関係」を大事にしてくれた、アキラ少年のために、ヒドラは全人類に対しての敵役を買って出たのだ。

その気持ちを知ったアキラ少年にとって、選択肢は多くはなかった。

自分への思いで、ヒドラを悪役にさせてはいけない、ヒドラを守らなくてはいけない。

その危機を報せに行った先が、科特隊本部であったということは、このシリーズを見慣れていれば当たり前に思うかもしれないが、はたしてアキラ少年は、なぜ科特隊本部を選んだのだろうかと考えたとき、自分との絆ゆえに、世界を敵に回しても復讐を遂げようとしたヒドラを、真に理解することができて、止めることができるのはウルトラマンだけだろうと、アキラ少年が判断したからではないだろうか?

(ではなぜ、本話をなぞった上原氏による『怪獣シュガロンの復讐』が、怪獣と人間の、断絶の物語に至ったのかという点については、このヒドラとアキラ少年の関係の底辺に流れている「非情な断絶」と共に、いずれ『怪獣シュガロンの復讐』評論で、解説してみたいと思う)

だからだろう、本話では、科特隊はあくまでヒドラを一匹の怪獣として、葬り去ろうとしてウルトラ作戦第二号を展開するが(余談だが、この「怪獣の背景事情を察する立場にいながらも、科特隊は、平和と正義という任務のためには、怪獣に対して容赦なく戦う」は、やはり後に、佐々木氏によって『故郷は地球』で、逆説的に描かれることになる)、それへは徹底抗戦で構えたヒドラも、ウルトラマンとの戦いにおいては、終始優勢に立ちながらも、勝負を捨ててアキラ少年と共に空へ消えていくのである。

そこでアキラ少年が(おそらく)、戦っているヒドラを呼び寄せた理由が「このままではヒドラがウルトラマンに殺されてしまうから」ではないことは、そこまでの戦いの、ヒドラ優勢の流れを見ていれば明白である。

では、なぜアキラ少年は、ウルトラマンにもう少しで勝てそうなヒドラを撤退させたのか?

アキラ少年一人の力で、ヒドラを撤退させることができるなら、なぜウルトラマンが登場する前、いや科特隊が出てくるより前、もっと求めるならば、復讐劇が起きる前に、どうしてそれをやらなかったのか?

それに対する筆者の考えを述べる前に、とあるブログでの逸話を紹介したい。

それは『光の国から愛をこめて』がブログ版として運営されていた時期に、お付き合いがあった「とあるブログ」さんの記事がきっかけであった。

そこのブログさんは、ウルトラや懐かしいヒーローの世界を、独特の暖かさと優しさ溢れる視点・語り口調で綴り、いつも筆者を惹きつけてくれていた良質のブログなのだが、そちらのブログであるとき「ウルトラマンはなぜ、最後にならないとスペシウム光線を使わないのか」をお題に、そこに集まるコメント常連者がそれぞれ、自分の意見を述べてみようという企画があった。

そこでは中々興味深い読み解きも見られ、皆さんそれぞれに、ウルトラへの愛を感じられる意見が並んでいるが、実は筆者もそこに書き込みをさせていただいた。

本来であれば、そちらを読んでいただければ理解していただけるとは思うが、もうそのブログは閉鎖されてしまっており、直接そこでのやり取りは確認できないが、そこで筆者はコメント欄で、「ウルトラマンは殺し屋じゃない。出来ることなら怪獣には、元居た地底や山奥へ、帰ってほしいといつでも願いながら相手をしている。怒りに我を忘れて暴れる怪獣を鎮めるには、殴ったり投げ飛ばしたりも必要だろう。そしてその上で、どうしても怪獣が暴れ続ける場合、これ以上は無理だとウルトラマンが判断した場合、スペシウムでやっつけてしまうのだ」という主旨の書き込みをしたのである。

そこで筆者が言いたかったことは、金城氏はあくまでも、怪獣に対して理解しよう、彼らの怒りや主張を受け入れようとする姿勢を、ウルトラマンという存在から、失わせたくはなかったのだということである。

それをアキラ少年は知っていた。

いや金城氏は、それは全ての(テレビの前の)子ども達が、当然のように知っているはずなんだという前提で、『ウルトラマン』という作品に向きあいたかったのではないだろうか。

(そしてそれはまた、怪獣に思い入れた子ども達が、怪獣と戦うウルトラマンへ向けて、「バカヤロー」と叫んでしまった『恐怖の宇宙線』への、金城氏なりのアンサーでもあった)

だから、アキラ少年は、自分のために悲劇を繰り返そうとするヒドラを止めるために、ウルトラマンに全てを託したかったのではないだろうか。

「ウルトラマンならヒドラを止めてくれる。ウルトラマンなら、僕とヒドラの絆を解ってくれるはずだ」

このエピソードの中での、アキラ少年の行動だけを抽出して見てみると、そんな悲痛な願いにも似た思いを、汲み取ることが出来るのである。

そしてまた、ウルトラマンのその戦いが(筆者のスペシウム論争の私見どおりに)、怪獣の声無き叫びを受け入れようとするコミュニケーションの形だからこそ、ヒドラは(その戦いが勝ちそうだという状況にも関わらず)ウルトラマンの真意と、決して自分とアキラ少年だけが、真に隔離された存在ではないことを知り、ようやくアキラ少年の言葉を受け入れて、空へ戻って行ったのではないだろうか?

ちょっと都合の良すぎる性善説に偏った解釈かもしれないが、実際に、このエピソードを見たときの、ともすると破綻しかけた構造に、整合性を求めようとすると、以上のような読み時が必要になってくる。

ウルトラマンは、いつもと同じ行動を取っているだけだったが、その「いつもの行動」こそが、怪獣をレスキューする意味も含めていたのだということが、金城氏による本話で、あらためてはっきりしたのである。

そしてウルトラマンは、一度は意を決して撃ったスペシウムだったが、二度目に撃とうとしたときは、そこにアキラ少年を見て見送る決意を固めた。

アキラ少年は、ウルトラマンのおかげで、復讐に暴走したヒドラを取り戻すことが出来、ウルトラマンとの戦いは、ヒドラにとって「アキラ少年の真意」を受け入れるための大事な儀式だったのだ。

アキラ少年との、閉じた関係しか環境を持たないヒドラにとって、ウルトラマンは稀有な「自分とアキラのことを解ってくれる存在」なのだと、きっとヒドラは、ウルトラマンとの戦いにおいて、納得したのではないだろうか。

また、だからこそウルトラマンが、スペシウムを二度目に撃たずに見送ることを選べたのだ。

その結果、ヒドラは殺されることなく、アキラ少年と共に昇天できたのだろう。

ウルトラマンは、自らがずっと続けてきた、「現れた怪獣と向かい合い、戦う」という行為をもって、アキラ少年とヒドラの間にある「閉じた関係」を壊さずに守りぬけたのだ。

このとき、きっとウルトラマンは、少年と怪獣との間に築かれた「閉じた関係」の内側に入ることを許されたのだろう。

佐々木ウルトラマンも、上原新マンも、市川新マンも入り込むことを許されなかった「閉じた関係」の内側へ、金城ウルトラマンだけは招待されて入ることが出来たのだ。

金城氏のウルトラは、閉じた関係へ他人が入っていくことを決して許さなかったが、ウルトラマンだけは招待を許されたのだ。

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