前回は「市川大賀仕事歴 出演仕事編Part4 『イマドキのアニメ塾』」

前回から時代は一気に21世紀に飛ぶ。
助監督時代の内トラや、スタッフ交流の表敬訪問先でのエキストラ参加まで書いていたらキリがないからだ。
その間に、いろいろなことが起きた。その中のいくつかはいずれこのサイトでも書くこともあるかもしれないが、今回の題材の大前提となるのは、僕がいっぱしのライターとして食えはじめ、その先で「市川大河」という名前を使い始め、その名前で興したウルトラマンシリーズの再現特撮と徹底批評のブログ『光の国から愛をこめて』を開設。瞬く間に年間数十万のPVを持つアルファブログになったことだろう。
名前を新たに作ったのは、呼び名という言霊で、プロの気質をお遊びのブログの気分の中に持ち込みたくなかったからでもあり、当時の自分プロデュースの中に「ブログは、再現特撮玩具画像で、派手なビジュアルで広く浅く存在感を発揮しつつ、コアで濃い文章評論を読んでもらう」等という姑息なマーケティング戦略のようなものもあったので「せめて変名でやらないことには、請け仕事を頂いてるクライアントに迷惑はかけられない」というのがあったからだ。

それは後々、僕への頭のおかしい狂った連中への対策を立てる必然性に駆られ、その先でさらに面白い展開になるのだが、それはまた別の機会の話。とりあえず、僕は瞬く間に「ウルトラマンファンのビッグネーム」として祀り上げられる羽目になった。
そのブログがことのほか順調に、一年目を過ぎたあたりからだろうか。
旧知の、某公共放送局の外注先プロダクションでプランナーをやっている、映画仕事時代の友人から連絡があった。

「まさかお前だったのか、市川ナントカって! いや助監督時代から変わり者だと知ってはいたが、面白い縁もあるもんだなァ!」

勝手に驚いて勝手に納得をされて、勝手に完結されても困る。
用件はなんだ。俺の正体を知らずにコンタクトをとってきた理由はなんなんだ?
俺も暇な身ではない。速やかに尋ねると、さすがにそこは元々同じ釜の飯を食う仲間だっただけあって、スムースに返答が却って来た。
2007年当時。NHK BS2『BSマンガ夜話』という番組がヒットしていた。毎回識者や漫画評論家やダメオタク代表を集めて、一本の漫画についてとことん語り合うニッチな番組だ。しかし、逆に「NHKがこんなニッチな番組を」というサプライズで好評を得て、番組は不定期で10年近く続いていたのだった。
そこで、NHKとしてはそのコンセプトをもう少し広げようと、『BS熱中夜話』という冠タイトルでゲスト枠を増やして、ジャンルを定めず様々な、鉄道マニアや戦国武将オタク等を集めて、しゃべり場みたいなノリでやっていく番組を新たに立ち上げる、と聞かされた。

まぁ僕としては、それはそれでいいんじゃないか。多分ネット時代と相まって、そこそこのヒットは狙えるんじゃないか、がんばれよとしかリアクションのしようがなかったのだが、プランナーは「その番組の最初の2週のテーマが『ウルトラマン』なんだ。漫画夜話の派生企画だから、まずは無難にオタクっぽいテーマからはじめたいのだ」と言ってきた。
ははーん。いろいろ読めた。旧知のコイツが、僕の今のブログ用名前しか知らずにコンタクトをとってきた理由も察せた。
要するに、僕のブログ(というか、そこでやってる「再現特撮」)をフィーチャリングしたいのだろう。そう聞くとドンピシャだった。

まだ「オモ写」なんて趣味もなかった14年前。
ビルも橋も紙細工とスチレンボードのDIYレベル。山や荒れ地のセットも発泡スチロールに石膏と塗装という、まんま映像作品の美術班作業のような手法で、まぁ手前味噌ながら、見事にテレビ画面の中のウルトラマンシリーズの名場面を再現していただけに、ネットの海を「誰か、ウルトラマンファンの中で、こいつは狂ってるってレベルでイカレてる面白い奴はいないものか」と探した結果、僕に行きついたという推理に、概ね間違いはなかった。

「そういうことなんで、一つ出てくれないかなぁ」

そう聞かれれば、そろそろ「ウルトラマン界隈」のドクズさ加減にも辟易してきたころ合いでもあったし、特に慣れ合う相手も秘匿義務のある情報も持ち合わせてないだけに、いちかわたいがという名前を売るにはかっこうの機会であるとも思えたので、その依頼に二つ返事でOKを出した。
そこからは、まるでスタッフの一人扱いで、日々忙しく打ち合わせが続く。


友人の思い描く構成としては、スタジオにゲストで来訪するのは、『ウルトラQ』『ウルトラマン』(共に1966年)桜井浩子さんと、『ウルトラセブン』(1967年)ひし美ゆり子さんだというじゃないか。怖いもの知らずなのか、天下のNHKの御威光なのか、ありえないはずのダブルヒロインゲストが決定し、僕は2回あるうちの、1回のメインゲストと決まった。


僕のワンルームマンションにロケ隊が来て、僕が紙工作のビルや、ミニチュアセットを並べてフィギュアを撮影するシーンをドキュメント風に撮影し、その後僕がパソコンを操作して、Photoshopで画像加工をして完成するまでを追いかけるVをまず作る。
スタジオでは、そのVを見ながらいろいろトーク(司会はビビる大木田丸麻紀)を展開するという大まかな構成まで出来ていた。

放映当時のwebサイト

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