こっちはこっちで、日々の仕事は忙しいのだが、旧知の友人と違った形でテレビの仕事が出来るのは楽しさもある。
準備は順調に進んで、さぁロケはいつになるんだという段階まで進んでいた。
ところが、である。
ロケの直前になって、打ち合わせに何度も顔を出していた若いADが、菓子折りを持ってうちにやってきた。
「どうもすみません。あの話はどうか、なかったことに」
まだ、頭のおかしい似非業界人がコインを積み始める前の出来事だ。そもそも当時も今も僕は何一つ悪さをした記憶は皆無なので、普通にいきなり降ろされた理由を聞いてみる。僕のどこが悪かったのか。僕を起用すると何かまずいことでもあるのか、と。
しかし、押しても引いても、そのAD君はなにも打ち明けない。何も知らされてないのか。相当因果を含められて俺のところに使い走りをさせられたか。
しょうがない。分かったとあいつに伝えてくれ、と言うと「けれど市川さんには、番組自体には出て欲しいんですよね。これは全スタッフ共通の願いなんです」と、また異次元で奇妙な矛盾したことを言い始める。
いや、出るよ? どうせ出る予定だったんだから、呼ばれりゃ出るよ? でも、いろいろと「どういうこと?」が全く納得いかない。
しかし。
さて当日。
かつて助監督時代には、演出部や制作部の一員として通いまくったNHKの渋谷スタジオに向かい、そこに集まる一群を見て、僕は全てを察してしまった。
そこで集められて、大部屋の楽屋に放り込まれた一群は、業界では悪名高い、某プロダクション公式FCのメンバー達で、要するに、ひな壇をマニアで埋めたい制作サイドが、円谷に相談と筋を通しにいったところ、どうせならと、グロスでそのFCを押し付けられて、その集団で番組を構成するようにと「お達し」を受けたのだ。
そして。
本来は、僕が座る筈だった「メインゲスト」の席に座るのは「現職の学校教師で、学校で子ども達への授業で『故郷は地球』や『怪獣使いと少年』を使って感想文を書かせたり、点数を付ける『ウルトラ先生』」だったのだ。
このウルトラ先生、円谷プロダクションからはたいそうお気に入りにされてて、「たかがキワモノテレビ」だったはずの『ウルトラ』を、教育の現場で崇高な教材として扱ってくれるファンの重鎮として、公式本等も書かせてもらえてるほどの下へも置かないファン代表だったのである。
うん、理解した。
使い走りのAD君も、旧知のプランナーも何も悪くない。
この「急な変更」は、教育教材という権威化を宣伝したい円谷が、制作サイドにぶち込んできた「横車」だったのである。
NHK BS熱中夜話 ウルトラマンナイト 2008年4月3日 4月10日
収録が始まり、スタジオ中央にはダブルウルトラヒロインと司会が二人、そしてウルトラ先生の5人が卓を囲み、僕は背後の客席の、はるか後方のモブの中の一人。カメラに映りこむ大事な客席部分は、公式FCのウルトラ大好き家族などで画が作られている。
あぁもう、なんかどうでもいいかなぁ。
正直そう思ってモチベが駄々下がりしていたところに、本番直前のタイミングで、旧知のプランナーがわざわざひな壇を登って、僕のところまできてくれた。
なんだよ今更。何を言いにきたんだよ、と拗ねてみせた表情で睨むと、そいつはまずは一言放った。
「ひな壇にトークは何度でも振るから、全部食いついて好き放題暴れていいぞ」
あ? 自分の番組だろ? 僕をそそのかして、なんか得でもあるのか?
「今回の横やりは、正直こっちも予定が全バラシになったんで腹に据えかねてるんだよ。でもまぁ、権利元には逆らえねぇ。俺たちゃ宮仕えだからな」
そう言って、ニヤリと笑って僕を見る。
ハイハイ、そうですか(笑)
これじゃぁまるで、僕は池波正太郎『仕掛人梅安』だ。いや『ゴルゴ13』か。
どちらにしても、僕はある種の「お墨付き」の内定を頂いたようなものである。
本番の収録が始まっても、マニア、好事家を名乗るならこの程度は知っておこうよという基礎教養を誰も知らないので、片っ端から僕が挙手して正解をだしていくしかない。
そのうち、「ウルトラ先生」のコーナーになって、ウルトラ授業風景やウルトラ学習理念の崇高さを語るのはいいんだけど、いざ『ウルトラセブン』を語りだした時、論外の頓珍漢な「批評」をご高説はじめてしまった。
曰く「『ウルトラセブン』『第四惑星の悪夢』は、映像技術とカメラワークで見せる、実相寺昭雄監督ならではの、優れた社会風刺ドラマであり、その演出家全世代唯一のオリジナリティのある作家性は云々かんぬん……」