その上で、敬愛する押井守監督の最高傑作の一つ『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1994年)の中の、後藤隊長の台詞を二つ、南雲隊長の台詞を一つお借りして、しっかりアレンジして使っているし、その前作の『機動警察パトレイバー the Movie』(1989年)から、後藤隊長と泉野明の台詞を意識した言葉も一つずつ混入してある。

『機動警察パトレイバー2 the Movie』より

あとは、お遊び兼スパイス感覚で『探偵物語』(1979年)の工藤ちゃん(松田優作)の台詞も一つだけ借りてきているが、そもそも筆者の目的は、それらオマージュやパロディをフックにして客寄せに使おうという趣旨ではないので、これらオマージュネタの数々が、作中のどれを指すのかも、多分今この投稿記事を読んだ上で、改めてネタ元の映像作品を穴が開くほど見つめて、拙著と見比べないと、およそ気付くに至らないのではないかとさえ思う(気づいて喜んでもらうための演出ではないので)。

『機動警察パトレイバー2 the Movie』より

まぁここで、オマージュ元として富野監督作品が出てこないのは、ある意味富野由悠季監督の台詞回しや文体は、あまりにも独特過ぎてオンリーワンの文体であり、それをネタだけ掠め取ってきて混ぜ込むことは逆にハイリスクになるだけだから、というのは無意識にあったのかもしれない。
また、いわゆる「富野節」に関しては、以前企画を温めていた『オリジナルガンダム』の水子で、トレースしまくったというのもあり、筆者の中ではそれで終わってるのである。

後は。
これは筆者の中での確信を基にしているが。
かつて『快獣ブースカ』(1966年)でデビューして『コメットさん』(1967年)など「ファンタジードラマ」で才能を開花させ、最終的には日本のテレビドラマ文芸の頂点に立った脚本家・市川森一氏が、70年代初頭、金城哲夫という心の師を追い求め、その先で現場の闘争で敗れ去った『ウルトラ』」で貫こうとした「本当のファンタジーとはなにか」という部分に対しては、これは筆者自身の中ではかなりの「手ごたえはあった」という結論に達している。


最近、なんの結果もビジネスも成していない自称研究家と名乗るようなゴロが「市川森一はSF主義だった」等と嘯くが、市川森一氏は「SF主義」などではなく、純粋なファンタジー主義であったことは、証拠不要の基礎教養であり、ファンならだれもが知ってる基本である。
それは本論ではないが、左派思想作風がビジネス価値を持っていた時代にドラマ脚本家の道を選んだ、保守系作家の金城哲夫氏や市川森一氏のもつ「いじましさ」からのファンタジー嗜好であり、それは金城氏の『ウルトラQ』や市川氏の『コメットさん』等に顕著である。

そんな「イデーも政治主義もない、精神主義でもない、『純粋な現実逃避』の肯定」市川森一氏が生涯愛した『銀河鉄道の夜』『欲望という名の電車』という2本の名作の「核」を、筆者も筆者なりに追い求めてみた。

市川森一氏

筆者をよく知る人からは意外に思われがちだが、本作の中心にあるのは反体制ではなく「この国の『人』と『人でない存在』が、共に手を取り育み守ってきた全てへの賛歌」そのファンタジーなのである。
だから、無粋な退魔バトルなど要らない。戦国武将の魔王も陰陽道の伝説の偉人も出てこないのである。
今回は、まずは予約までして読んでくださった皆様へ、感謝の意を込めて「読んでいただいた人向け」のコラムになった。
本作については、またなにかあれば折に触れてこうしたコラムを書き記していきたい。

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