兵器としての最適化が、人の姿としての奇形に至る

閑話休題。
その後の、熱狂的過ぎるガンダムブーム=ガンプラブームを迎えてしまったために、迂闊にもジュアッグ、アッグガイ、ゾゴック、アッグなどが、安易に模型化されて、その後公式モビルスーツ扱いを受けてしまう羽目に陥ってしまったのだが、これらを「完成された『機動戦士ガンダム』(以下『ガンダム』)世界での、存在を神(富野由悠季総監督と大河原邦男メカデザイナー)からは、許されなかった存在」であるという認識に立ち戻ると、この時期富野監督が、暗路の中で何を模索しようとしていたのかがわかってくる。

それはやはり、演出的な、画的な部分で変化を求めた結果行き着いた「水陸両用型」という「ロボットの概念」に、どう、物理学的とは程遠い「説得力」のようなものをデザイン段階で加味していくかという問題に、相当苦心した痕跡が見えるのだ。
その辺りは、日本サンライズ『機動戦士ガンダム 記録全集 4』に詳しいが、まずは、水中の抵抗力を軽減するための、変形に近い卵型からの人型への変化をいくつか模索して、そのプロセスがゴックやアッガイの「腕の伸縮ギミック」に残る。
また、そこでの水力抵抗を軽減する(ように、あたかも思わせる)要素としての「なで肩」「肩ブロックアーマーの廃止」は、ズゴックやアッガイといった完成組だけではなく、ゾゴックやアッグガイにも意匠が残されている。

ちなみに、ラフスケッチの段階では、富野ラフには(あくまで)「水陸両用モビルスーツという存在は、どのような形を統一感として持つか」でざざっと描かれた一つの形態のものがあり、ここから、正式にはズゴックとゴックに枝分かれしつつ、ゾゴックの肩のブーメランや、アッガイやゾゴックの腕の伸縮、ゴックの異様に大きな掌などの、一発インパクトデザインへと分岐していくのである。
そう考えれば、最終的にアニメに登場したゾック辺りのフリーキーなプロポーションは、まだまだあれで、まともな方向性だったこともあり、もはや怪獣や機械獣と呼ぶしかないような、没メカのアッグガイやジュアッグのクリーンナップデザインから垣間見えるのは、富野監督による「一気に、人の形を模すという概念を突き崩してしまえばどうなるか」への実験論であろう。

後付け設定で「ジャブロー攻略の為に一点強化された特殊なモビルスーツ群」で括られてしまっている、ここでの没メカ達だが、ではそれらと比較して、どれだけアッガイやゾックに汎用性の欠片でもあったのかという疑問は尽きない。

最終的な完成デザインを、殆ど富野ラフのままであるという仮説を押し通して論じてしまえば、明らかに富野監督は、このタイミングでモビルスーツから、人体のバランスを崩し、奇形化させることで、兵器としての運用性をディフォルメしようとさせている。
それは既に、第26話『復活のシャア』での、ゴックの演出にも顕著で、卵型のボディから、ダラリと伸びた長い両手、その先で鋭い爪が牙のように並んだでかい手というバランスを、絵コンテ段階からことさら強調する演出でゴックは描かれている(ここで、ゴックの特性と異形の物感が、デザインではなくコンテと作画で醸し出されていたからこそ、基本、大河原デザインを忠実に立体化するガンプラでは、今一歩ゴックの幽鬼性が再現できず、むしろ『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(1989年)で、出渕裕氏の英断によるリファインアレンジ、今ではハイゴッグと呼ばれているように、デザイン段階まで遡る必要性があったのだ)。

そこでの、アッグタイプの富野メモには

これはやりすぎ!
アッグ・タイプは、やややりすぎではありますが、基本的に悪相
巨大単眼
ホバークラフト状の移動力UP
すごくパワーアップしてる感じにする

日本サンライズ『機動戦士ガンダム 記録全集 4』

等とあり、解説も

名称、形状から言っても第30話のアッガイタイプを産み落とすまでの産物と考えてさしつかえないだろう。
注釈の部分に、この時期の敵モビルスーツ設定における富野氏なりの苦しさが現れているようにもとれる。
総じてアッグタイプは地中推進型のモビルスーツであったようである。

日本サンライズ『機動戦士ガンダム 記録全集 4』

現代なら、webで画像検索をかければ、緻密で精巧なガンプラ版が、どれもこれも簡単に見ることが出来るので、画像の用意も立体物による再現(仮想?)も、今回はあえて用意しないが。
アッガイやジュアッグの奇形さは、既にモビルスーツの許容範囲(Suitとして)を逸脱しており、ここは次の本論に譲るが、アッグの「ボディそのものが巨大な頭でしかなく、ドリルとスリッパがそこについただけ」の意匠が、ここで悩み、採用しなかった富野監督をして、とある決断に至らせたのだろう。

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