大賀 大林さんって、極端な二種の映画の作り方をするじゃないですか。片方で、ポップで、サイケで、幻想的で漫画チックな『HOUSE ハウス』(1977年)『瞳の中の訪問者』(1977年)『金田一耕助の冒険』(1979年)『漂流教室』(1987年)『水の旅人-侍KIDS-』(1993年)とか。今三留さんが例に挙げられた、薬師丸さんで撮った『ねらわれた学園』(1981年)は、こっちの系譜だと思うんです。その一方で、尾道三部作に代表されるような、とても静的でモノクロチックで抒情的な作品も撮る。『廃市』(1984年)『さびしんぼう』(1985年)とか、『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』(1988年)『ふたり』(1991年)とか。先ほどから話に挙がっている『時をかける少女』は、こちら側だと思うんですよね。そんな中で、前者の側って大林映画のファンの人でも認めないっていう人がいるじゃないですか。僕は意外と『HOUSE ハウス』『瞳の中の訪問者』系の方も好きなんですよ。
三留 うんうん。私も好きだよ。『金田一耕助の冒険』も好き。
大賀 大林監督は、あの作風の二面性というのは、ご本人が狙ってやっておられるんでしょうかね?
三留 うーん。大林さんの中では、新しいことをやりたいというのは常にあることだし、やっぱ「(「今回はこういこう」と決めたら)やるときはとことん」なんじゃないのかなぁ。
大賀 その「大林映画の二面性」の融合と結実という点では、一つは市川森一さん脚本でもある『異人たちとの夏』(1988年)クライマックスのホラーシーン。そして『ふたり』劇中でのあり得ないほどの構図の比較の中での光学合成での花火。この二つは、ここをして「それまでの抒情的な雰囲気をぶち壊す」として低評価を下す人も多いんですけれども、ぶっちゃけ僕は大好きなんですよねぇ。
三留 『ふたり』も良かったよね。