三留 私もその当時、別の友達たちと自主映画を作っていて、当初目指していたのは、石井聰互監督作品風だったのね。

大賀 『高校大パニック』(1978年)とか『突撃!!博多愚連隊』(1978年)とか『爆裂都市 BURST CITY』(1982年)とかの!

爆裂都市 BURST CITY

三留 だって、私が出演して未完で終った自主映画のタイトルが『狂獣の時』っていう(笑) で、団体名が「狂映研」っていう(笑)

大賀 いかにも石井聰互だ(笑)

三留 その映画での私の役どころが「ライフルを持った青年主人公にさらわれる女の子」っていう。まぁ自滅の話なんだけれども。

大賀 アメリカンニューシネマの影響って、当時の自主映画には残ってた?

三留 ありましたね。ニューシネマは外せない要素だし、映画とはかくあるものだっていう信心みたいなものが、どっかにあったんじゃないかな。「ハッピーハッピー」ではない、みたいな。「楽しい映画を作ろう」なんて、はなから考えてなかったと思う、当時の(自主映画の)子たちはね。(楽しい作品を撮ろうという人が)いたのかもしれないけれど、なんか深刻ぶった話を撮らないといけないような(笑)

大賀 ような(笑)

三留 ような、ような(笑) そんな雰囲気が、あったんじゃないかなぁ……。

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