大賀 リラックスし過ぎて、前の座席の背もたれに、足乗っけたりする奴がいるというね(笑)

三留 そう、痴漢がいたりとかねぇ! で、なんかフラリと映画の途中から入ってそこで観て、また途中で気が向いたら帰っちゃうみたいな。いろんな観方が出来て、それこそ一日中居座ることも出来てっていう、なんていうかなぁ……「気軽に立ち寄れる場所」だったんだよ。フラッとやってきて、そこで寝ててもいい場所だったんだよ。それがシネコンになって「この時間」にきっちり間に合うように行って「座席を確保」してっていう。映画館に入って、じゃあどの席に座ろうかなぁみたいな楽しみまでなくなっちゃって、すごい不自由な空間になっちゃったんだなぁっていう……。

大賀 経営とか経済の「無駄をなくせ」という現代的概念が、映画を観る側、享受する側にまで徹底させられてるんだよね。

三留 でも、シネコン時代しか知らない子たちは、「だって席が決まってるのは当たり前じゃん?」って思ってる。むしろ「席が確保できてるので安心」みたいに思っているみたい。でも「もっと映画って気楽なものだったんだよ」って私は言いたいけど……でもそれはきっと、もう戻らないんだろうなァ……。それとあと、若い世代に言いたいのは、「物事には対価がある」ってこと。それに気が付いていない。だって今、映画も音楽も、webで、違法動画で観ることが出来る。でも、正規の対価を払って、映画館のスクリーンで観るのと、違法動画をそれなりの画質で、モニターで観るのとは全く違うし……。でも、その違いが今の子たちにはわからない。やっぱり、古い世代としてはさぁ。映画館のスクリーンのサイズでドーンと観てサァ。

大賀 映画館全体が、暗闇に包まれていくあのぞくぞくする過程をね。

三留 不特定多数の人たちと一緒に観てねぇ……。だってテレビだって昔はそうだったじゃない? これ、岩井俊二くんが言ってたんだけど、「僕たちのころって(テレビを)『せーのっ』で観たよね」って。

大賀 あー。家族みんなでね(笑)

三留 そう、録画とか出来なかった時代。だから、みんな揃ってテレビの前に座って、番組が始まるその瞬間を待ってたんだよ。でも「それ」がなくなっちゃった。あと、彼がもう一つ言っていたのが「今(映画『スワロウテイル』公開1996年時)の子たちって、フィルムのザラザラの粒子が嫌だっていうんだよね」って。でも今関あきよし)さんに言わせると「あの粒子に、ピントを合わせるんだ!」なんだって(笑) ベテランのカメラマンさんは、顔の輪郭とかじゃなくて、あの粒子にピントを合わせるんだと。

『スワロウテイル』岩井俊二

大賀 同じことは、仙元誠三(映画カメラマン)さんも言ってましたね!

三留 言ってたんだ! でも、今は家族でテレビを観ることもなくなったし、粒子が見える映画も少なくなった。個人でいくらでも、映像も音楽も、パソコンで作ったり観たり聞いたり出来る時代になった。でもさぁ、スクリーンで観るのとYouTubeで観るのとは全然違うし、もっと言っちゃえば、レコードとCDも全然違うじゃん? レコードの溝で針がカックンカックンするのだって、それは映画館で映画のフィルムに雨が降っているのと一緒で、やっぱり、そういうものを全部含めて、「音楽」だったり「映画」だったり、だと思うんだよね。

大賀 僕らの世代でさえ、『リンゴの唄』を聴くときに、楽曲が始まる前にザザーッっていう、針の雑音が入らないと気が気でなくなるからね(笑)

三留 そう、そういうものもひっくるめての「作品」なのに、なんか「綺麗な物」「無駄のない物」にされちゃってる。でも、その無駄だったり余韻だったり、それに付随するあれやこれやの方が、大事だったんじゃないかなあって思ったりする。

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