「ちきしょう。なんていい天気だ。こんな時までにこにこ見てるやつがあるか」

仙川さんとの約束のあとのベランダで、参平はそう、空の亡妻に向かって呟いた。
あとがきで、こうの史代女史はこう書いている。

「この世にいる」ということは、どういう事かを、参平を通じてより鮮明に描いてみたかっただろうからです。

僕はまだ、僕がなんのために、何を感じ取るために、何と出会い、何を成すために生きているのか、「この世にいる」ということがどういう事かを、未だ分からないまま、日々を過ごしている。
一方で、「あれから16年」で、様々な素敵な人たちとの縁が紡げたのは、どこかでこの一冊が、PessimismとNarcismだけで、自己憐憫だけで時を消費しようとしていた僕を、今の位置までレスキューしてくれたからに違いないとだけは言い切れる。

60を過ぎた壮年男が、放り込まれた息子家族の下で居候をしながら主夫に目覚め。様々な、主にそれまでは、亡妻に任せきりだった家事を、亡妻が遺したノートを手掛かりにして「この世にいる」「居場所捜し」を成していくこの作品のテーマは、最終話のサブタイトル『見てると思わなきゃいいのよ』で回収される。
この最終話のターニングポイントを以てして、参平の時間や人生は、決して忘れはしないものの、亡妻とだけの、天と地の繋がりから解放されて、市政の一人の壮年男性としての一歩を、改めて踏み出すという形をとっていく。
それが、フィクションでありファンタジーである漫画の、あるべき終わり方なのだろうと共に、こうの女史から「この世界の片隅に」取り残されてしまった、全ての人達へのエールであろうとも思うからだ。

生きることは、人と繋がる事。
人と繋がりさえすれば、何かがどこかで、必ず変わっていく。
例えその“変わり方”が、決して己が予め望んだ形ではなくても。
人生は、きっと、かくも捨てたものではなく、かくも素晴らしい。
そのことを教え伝えてくれるこの一冊は、キャッチーな戦争漫画よりも、もっと注目されてもよいのだと思うのだ。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事