余談だが、バブル期のとんねるずのコントではないが、いざ現場では、演出部のサードと、制作部の制作進行は、人権も与えられず、パワハラやイジメは当たり前で、こき使われて使い捨てられたり、ギョーカイ君になりたがりの馬鹿を、六本木辺りからつれてくれば、喜び勇んでついてくるのだが、制作進行かサードをやらせると、次の日に行方不明になることも多いので有名だ。
これが照明部や撮影部になると、意外と新人とセクトの長が、仲良く仕事中も休息中も過ごしている。
演出部と製作部だけがなぜ? そう思うだろう。
これは、僕の推測が混じるのだが、要するに、照明部や撮影部などの技術専門職は、苦労して偉くなっても、その部署のトップが終着駅なのだが、演出部は、チーフを越えれば「監督」になるし、製作部は制作主任を越えれば「プロデューサー」になる。共にコンテンツ制作の最高責任者同士だ。
だから。最初は厳しい立場に置かれるのではないか。試されるのではないか。これが僕の推論である。
そしてその初日、僕はなんとか、ボールドをスタジオの外で練習し(鳴らすとうるさいからね)懸命に「速やかに正確に」練習をする。しかし、本番に入るたびにセカンドの先輩から「新人! 本番だぞ! ボールド!」と怒鳴られ、はいはい、はいと入っていくも、カメラのレンズ前にボールドを掲げると、その場にいる全スタッフと全役者さんの緊張が伝わってきて、意味なくこちらも手が震えてしまう。
声が響く
「シーン34 カット5 テイク1! 用意!」
心の中で数字を数えて、懸命にボールドを鳴らす。しかし、生まれて初めてのボールドだ(いや、自主映画時代にもカチンコは使っていたが、僕はいきなり監督で一番偉い人だったので、自分で鳴らしたことがなかったのだ)。
そんなうまくいくわけがない。カチッと小さく鳴るだけだったり、音が響かずパンと鳴ったり、指が挟まって音がダブったり、そんな失敗が何度も続いた挙句……。
「ちょっとぉ!」このドラマの主演の、時の大女優様のイラついた言葉が、次のカットの準備に追われるスタッフの間に響いた。「そのスケカンのボールドじゃ、演技に気合が入らないんだけど! もうちょっとまともにボールド打てる助監督と交代させてくれない?」
その言葉に、演出部は少しざわっとした。
後で平増氏に聞いたところによると、古来、映画やドラマの現場では、助監督を「スケカン(助監の訓読み)」と呼ぶことは、農業従事者を「百姓」土木作業員を「土方」と呼ぶような、職業侮蔑的表現であり、現場では絶対に使ってはいけないはずの言葉なのだ。だから、その時の演出部は、僕というド新人を抱えたハンデを補って有り余る怒りがあったのだという。
しかし、その大女優にその蔑称を「使わせてしまった」のは、僕のボールド使いの至らなさであり、ここが仕事場である以上、新人であることはいかなるミスの言い訳にも使えず、僕は(今ではあのババぁ、ぐらい思ってますよ?)大女優様と現場の演出部の皆さんに申し訳が立たず、俯くしかなかった。
そこへ、セカンドの先輩がやってきて僕に向かって言った。
「ごめんな。お前が悪いわけじゃないんだ。こういうことになった時は、俳優さんの意思を尊重するというのが習わしなんだよ。今日のところは帰ってはくれないか」
従うしかなかった。
当時の僕には、それが「いつか映画監督になりたい」と思う自分の夢が、根底から全てを破壊されたショックに襲われた。
しばらく、元のバイトに戻って数日間。
テレビのバラエティでは、その日もスタジオスタッフとお笑い芸人との馴れ合いが笑いを産んでいる。
ぼーっとそれを観ながら煙草をふかしていた時、一本の電話が鳴った。
当時はまだ携帯どころかポケベルもあまり普及してなかった時代。
一人暮らしのアパートの電話が、ある夜鳴った。
誰あろう、あの「スケカン事件」現場でご一緒した、平増氏からの電話であった。