今回紹介するのは、『紅い眼鏡』(1987年)という映画である。

『うる星やつら』(1981年〜1986年)TVシリーズで名を上げて、その劇場版2作目にあたる『うる星やつら2 ビュ−ティフルドリーマー』(1984年)で、アニメ映画を越えたレベルの、名誉と賞賛と結果と罵倒と揶揄を浴びまくった俊英・押井守監督が、続いて監督を任されたOVA『天使のたまご』(1985年)で、さらにやりたい放題やりまくっちゃって、結果(当然のごとく)ホサれちゃったのだが、この作品は、押井監督がそんな(ただ暇だった)時期に手を出した初の実写映画であり「総制作費が2500万円」「スタッフが殆どギャラ無し」「出演者の殆どがアマチュア」「主要キャストは声優」「撮影は土日だけ」「そもそも、声優・千葉繁氏のPVレベルの企画だった」等々、「極めて自主映画に近い立ち位置の作品」であるため、そこで押井監督が抱えていた鬱屈が、見事なまでに噴出している傑作映画。

主演の千葉繁(左)と、天本英世(右)

最近つくづく思うけど、もはやハリウッドではこの時期『エイリアン2』(1986年)等で、James Francis Cameron等による巨大バケット映画娯楽が台頭してきていたわけだし、既に『宇宙からのメッセージ』(1978年)『さよならジュピター』(1984年)を作りだしてしまっていたSF邦画界は、それこそ洋画と競り合うのはもう諦めて、この作品や『爆裂都市 BURST CITY』(1982年)や『ア・ホーマンス』(1986年)『時をかける少女』(1983年)等のような「大掛かりな特撮や予算があるわけではないが、映画としての普遍的な良質さと、SFマインドを併せ持つ佳作」方向への活路を見出すべきだったかと、今でも強く思う(実際の邦画界では、平成ゴジラシリーズが「その気」になっちゃってたけど(笑))。

本作は、ちゃんとある意味で近未来SF実写映画であると同時に、とてもくっきりとした押井守映画に仕上がっていて、例えば『うる星やつら2 ビュ−ティフルドリーマー』から『機動警察パトレイバー the Movie』(1989年)へと向かう、足がかりとジョイントを、この作品の随所から確かに窺い知ることが出来る。
それと同時に押井氏は、あくまで(思想的な意味ではなく)「学生運動や全共闘に夢を見た」最後の世代だったのだと痛感。

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