本話は第1話と共に同時クランクインした、円谷一監督初登板の作品。

味方側の人間に化けた宇宙人の正体を、主人公がウルトラ能力で見抜くけれども、自分の正体を明かすわけにもいかず葛藤するばかりか、一人で宇宙人を倒そうとした行為が味方側の仲間に誤解されて窮地に追い込まれるという流れは、後に『帰ってきたウルトラマン』(1971年)『ウルトラマンA』(1972年)などで、脚本家・市川森一氏が得意にするようになる作劇だ。

また「地球人ではない能力を持っているがゆえに、主人公が周囲と決定的な調和が取れない」という根底テーマは、上原正三氏が『帰ってきたウルトラマン』から先の作劇で、メインテーマ的に扱っていくものであったりする。

金城哲夫氏は、まだまだこの時期「宇宙人(自分)と地球人(警備隊の仲間)は同じ存在であり、互いの相互理解と努力によって同和は成し遂げられるはずだ」という前提でセブンに向かっており、その作劇の中でセブン・ダンの持つ宇宙人としての超能力が、展開や地球側にとってメリットに働くことはあっても、それがダンと周囲にとっての壁になるという描き方は、決してしなかった。

それを初めてやってのけたのが、本話を書いた脚本家・菅野昭彦氏だった。

菅野氏は、松竹をメインに活動していた脚本家であり、鰐淵晴子主演の『はだしの花嫁』(1962年)

『クレージーの花嫁と七人の仲間』(1962年)などの脚本家であった。

セブンの後の70年代には、やはり松竹がテレビで大ヒットさせた、青春ドラマ『俺は男だ!』(1971年)などでも活躍している。

菅野氏はおそらくこの時期、子ども番組へ積極的に参加することで、自らの仕事の方向性や可能性を広げようとしていたと思われ、セブンと同年に虫プロで制作された、アニメ『悟空の大冒険』(1967年)などでも脚本を担当している。

セブン(というか円谷プロ作品)では、この一本だけの参加で終わってしまった菅野氏だが、そもそも円谷文芸部員だった赤井鬼介氏を除けば、食客脚本家陣でセブンにローテーション入りしなかった作家は、菅野氏ただ一人だったりする。

それが、金城哲夫氏が避けていた「宇宙人と地球人の壁」を、描写したからというわけではないだろうが、かようにセブン初期から中期にかけては、参加する作家のほとんどが、セブンという存在に対して、揺さぶりをかけ続けるのである。

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