深作監督のあらたな興味

しかし、一方の深作監督は、そういう方程式でジュリーを選んだのではなかったのかもしれない。
深作監督が、この手の「集団群像活劇アクション」でのラスボスに、ある種の「妖艶さ」を求め始めたのは、それこそ上記した『柳生一族の陰謀』や『宇宙からのメッセージ』におけるラスボス・成田三樹夫に対する演技付けからでもある。

そこでは成田氏は、いつもの演技より一段高いレベルで声色と抑揚を台詞に付加し、大仰に動き、妖しさを醸し出していた。
そういう意味で、ここでの天草役に沢田研二起用は、話題性も充分である上、成田三樹夫の妖艶さとはまた違った魅力に溢れており、ある意味でこの時期定番になり過ぎていた「千葉十兵衛無双映画」大作のラスボスとして、必要充分に一般層に対して、面白さをアピールするガジェットになったのである。

その「深作群像アクション活劇ルーティン」における「ラスボス妖艶さ」は加速していき、やがて『里見八犬伝』ではもはや、沢田研二と夏木マリの、どちらをどちらのつもりで(深作監督が)撮っているのか区別がつかないレベルに到達するのであるが、その「深作プランニング」と、先述した「千葉プランニング」が、まさにマッチしたように見えて、実はほんの少し解離していたことが判明するのが、この映画を語るときに誰もが思う「脚本には無かったはずの、沢田研二と真田広之のキスシーン」だろう。

当時の映画界の話題を独占した、「男同士のキスシーン」

今のご時勢であればむしろ、腐女子とか801方面の方が見逃さないであろう、この「東映△マーク魂漢には、無理のあるシチュエーション」は、公開当時どんなシーンよりも話題になった。
そう「俺の映画の、俺が千葉真一」が、いかに体を張り懇親を込めたシーンよりも、たかが流行歌手ごときと、自分の会社の三下若造ごときが、ホモキスをしただけで、主役の自分よりも、注目を集めてしまったのだッ!(ここだけ何故か小池一夫風味)許さんッ! 真田にはよくよく、因果を含めさせて於いたはずなのに! この映画が世に出て、口伝で人の世界を伝うときに称えられるべきは、全て、俺が雄姿、俺の勇ましさ、俺の無敵ぶりであるはずなのに!
千葉十兵衛がそう考えたかどうかは分からないが、どうやら深作監督サイドは撮る側なりに、新しい何かを模索したかったようなのである。

それが幸せにも、ジュリーが醸し出していたオーラと奇跡的に融合して、未だ邦画界に名を残す、名物キャラ・天草四郎が完成したのだ。
その衣装も、かつてNHK夕方の子ども向け人形劇ドラマで一世を風靡した、辻村ジュサブロー氏に委託して、かくして邦画界には稀な「妖艶な悪役のラスボス」が、ここに誕生したのである。
そうなったらそうなったで、負けていられず、もはや一歩も退く訳にはいかないのが、我等が千葉真一の柳生十兵衛だ。

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