殺人拳VS太陽を盗んだ男

男性要素が何一つ被っていない男同士の頂上決戦が今始まる!

さらにまたまた、ジュリーは「原爆を作った男」なのである。
原爆だよ原爆。おでんのバクダンを作るのとはワケが違うぞ?
『太陽を盗んだ男』(1979年・監督長谷川和彦)でのジュリーは、学校の理科系教師でありながら、なんと原爆を作り出してしまい、菅原文太の警察や、国家を散々振り回して、ラスト東京を焼き尽くしてしまったのだ。
確かに、知性とナイーブさを醸し出すジュリーのオーラの力を借りれば「現実と日常に鬱屈した結果、自らの手で原爆を作り出す」くらいはしてみせそうだが、もしこれが千葉の手にかかってしまえば、彼に出来ることは「原爆を作ること」ではなく「瓦や石ブロックを叩き割るその手刀で、原爆を叩き割ること」くらいのものであろう。
ましてや千葉がもし「現実と日常に鬱屈」なぞしようものならば、そこで千葉が起こすは「原爆製造」ではなく「原発破壊」ではないだろうか?

そして原爆を製造して政府と警察をあざ笑ったジュリーによる、その『太陽を盗んだ男』のクライマックス。
屈強さでは千葉真一と相通ずるものがあるはずの、我等が菅原文太兄ぃを真っ向相手に、奪った拳銃の銃弾を、撃つ、撃つ! 撃つジュリー! 全弾が文太兄ぃに命中! しかし、だが文太兄ぃは死なない! 文太だから! 拳銃弾程度では! 死ななぁい! 弾丸を数発体に叩き込まれても、文太兄ぃはジュリーに掴みかかり肉弾戦!
その壮絶なラストバトルは『エイリアンVSプレデター』(2004年)を四半世紀先取りし、人体とか生命とか常識を超えた、異常な戦いを描ききった名作なのであるが、そこで最終的に勝利したのは、理系教師テロリストのジュリーであった。

つまり、この映画により一つの数式が完成したのだ。
それは「沢田研二>菅原文太」である。

ひょっとしたら、千葉御大はここに目をお付けになられたのかもしれない。
つまり、沢田研二の次回作で自分がジュリーを一刀両断で打ち倒せば、自動的に「俺が千葉>沢田研二>菅原文太」という数式に発展完成することになり、それは(千葉と文太兄ぃが所属する)東映△マークヒエラルキーにおいて、重要な契機となるかもしれないからだ。

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