――それは安藤監督にとってこの関杯が、ご自身にとっての発信になっているからですね。

安藤 そうですよ! テーマ曲なんてのは、関杯はこういう大会なんだって、発信するための、一つの形なんですよ。だから僕が作ればね、100万のところを一曲120円で出来るよと(笑) そしてまた、フィリピンダヴァオの活動にしたってね。フィリピン鷲を保護しようと運動しているのは、日本では僕達しかいないわけだけど、だから募金もささやかしか集まらないんだけど、でもささやかなお金だから意味なんかないだろうで、送らなかったら何にも起こらないんだよね。ダヴァオには、貧しくて勉強出来ない子達がいっぱいいて、なんとかしてあげたいんだけど、僕達が設立した奨学金制度で救えた子どもは年間は5人ずつしかいない。コツコツ10年間続けてきて、頑張っているけど自然保護も教育も時間がかかる。だからタカを救う会の援助は、今後30年続けられる基金を先に集めたんだけど。でもどうせ年間5人までしか救えないからって言い訳にしてやらないのと、でも何か出来ることからはじめてみようと思って行動するのとでは天地の差があるんだよね。そのために僕は、必死になって英語も勉強したし、出来ることを必死にやってきた。だから、出来る人はとにかく何か始めてみようよって。踏み出そうよって。どんなささやかでもいいじゃない?それが……僕のやり方なんだよね。僕は8人兄弟で5番目なんだけど、大学受験に失敗して、曲がりくねりながら映画の世界に飛び込んで、でも、そういう人生という流れの中で、僕は常にどんな仕事でも全力投球をしてきた。今やるべきことに、常に自分の全てを注ぎ込んできたっていう自負があるのね。そういった過程の中で僕を応援してきてくれた人や、今僕の作品をソフトで観てくれてる人とかに、もし僕が感銘を与えることが出来たのだとしたら、それはやっぱり、僕がそのときどきで全力投球してきたからなんだと思う。映像を辞めた後、針灸の資格とって、40代になって英語の勉強はじめて、50代に入ってボランティアの真似事はじめて、60代になってITの世界に入り込んで、70歳になって、ネットで自分の発信をはじめて……。

――それら、一個一個がまったく違う方向性に見えても、実はそれらが全部、安藤達己という個人の中では地続きなんですね。

安藤 そうなんですよ! だから僕はいつだって、年齢とか関係なく『今、僕に出来ることはなんだろう』これを常に考えて、これだと思ったら実行する、そういうやり方なんです。それは常に、小さくささやかなことかもしれないんだけど、大事なのは行動を起こすこと、スタートすること。だから僕に関して、映像の世界だけで『監督・安藤達己』を語られるなら、それはもうほとんどの作品が今ソフトで観れるわけだから、それを観た人からの批判は全て甘んじて受けるんだけど、でも、人間としての安藤達己は、映像だけ観ても分からないんだよね。僕はいつも言うんだけど『振り返った時に、そこで残した足跡が、自分でどれだったか、見分けがつかなくなるような人生だけは送るなよ』と。『俺の足跡はこれだぜ!』って言える人生が送れなかったら『俺は生きてきたよ』すら言えないだろ?って」

――監督は、あのセブンの一年間の中で、誰よりも映像の基本と表現を形にして、それを一本だけ、『ウルトラセブン』という世界に楔のように打ち込んで、だけどその後はそこにしがみつくことなく、セブンと関係ない人生を、セブンと安藤監督の関係を知らない人達の世界の中で生きてこられた。僕はそれを『格好良いとはこういうことだ』と実感してます。

安藤 いや格好よかねぇけどさ(爆笑) 僕はいつでも全力で目の前の壁にぶつかって、そして常に、自分なりの結果を出してきたからさ。今自分の作品をソフトで観返してみても、なんも恥じることがない。例えば僕はこないだ40年ぶりに森次晃嗣に会ったんだけど、あいつなんかレストランやってるんでしょ?(笑) で、セブンのファンとか子どもが来て『ダンだあ!』とか言われてさ。要するに『ウルトラセブン』で食ってるわけでしょ? 今でも。つまり、いまだにセブンの籠の中にいるわけじゃないですか。で、僕のところにも、当事のセブンの仲間からいろいろ集まりのお誘いはあるんだけど、僕にとってはあくまでセブンは過去の1ページでしかなくて、お誘いは嬉しいんだけど、そっちに割く時間はないかなというのがあるんだよね。だって僕、今『ウルトラセブン』の籠の中で生きてるわけじゃないから。僕は僕で、今生きている世界があって、そこでやらなきゃいけないことが山ほどあって、そんなセブンなんか構ってられないわけよ。今やってることが全力投球で精一杯で、そっちで手一杯なんですよ。それは僕の生きかたそのものだからさ。そりゃ、僕にやれてることなんてささやかなんだけど、ダヴァオの領事とか子ども達にすごく感謝されてると、まだまだ頑張ろうと思うんだ。僕にとっちゃ、50年前のセブンも今のダヴァオも関杯も、皆一緒なんだよね。全部『安藤達己の全力の結果』という意味でね、どこにも何一つ、後悔はない。30歳前後で撮った作品を、今70になって観返してみても、ああ撮ればよかった、こう撮ればよかったってことは一切ない。さっき市川大河さんは、僕を格好良いと言ったけど、同じことを、以前僕のwikipediaを編集してくれてる大学の人にも言われたんだ。関杯で関わってる中学の先生達の中にも、僕をリスペクトしてくれている人がけっこういて、あなたも含めて、僕の生き方はあなた達を裏切らなくてすんだかなと、ちょっと良かったなって今思っています(笑) そういう人達が向けてくれる期待を、僕はこれからも裏切りたくない。それに値する生き方を、これからもしていきたいなと思ってます。

――僕は安藤監督が、次にどんなステージで何をするのか、楽しみでしょうがないです(笑)

安藤 皆言うんだよ(笑) 『安藤さん来年は何してるか予想もつかない』って(笑) 僕にもわからないよ、そんなこと(爆笑)

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