前回は「出渕裕ロングインタビュー5 出渕裕とガンダムZZと小林誠と」
――そういう意味では話の時系列は戻りますが、『Zガンダム』のころって、永野さんや小林さんたちの、非常にアクのつよい、個性的な線で描かれてあがってくるデザインに対して、藤田さんが絶妙なクリーンナップをすることで、世界観を維持していたという印象がありますね。
出渕 あの時のクリーンナップは、藤田君かなりの量をやってますけど、例えば誠っちゃんがやったバウンド・ドックとか、ガザCっていうのは藤田君じゃないんですよ。バウンド・ドックは大畑晃一君がクリーンナップやってるし。(大畑氏が)ぶつぶつ言ってるのを当時聞いてました。「あぁもう!こんなデザインをどうしろと!」ってボヤいてて(笑) 「だから俺はこうしました!」って(クリーンナップを)持ってくるんだけど、うーんこれはこれで、またなんか違うんじゃない?と(笑) ガザCは佐山君のメカデザインとしてのデビュー作なのね。本当は作画で入ったはずなのにっていう(笑) 線がきれいだから君がやってって内田(健二)さんに言われて。(佐山氏は)「いやぁ勧められたんですけど、僕はアレ、描きたくなかったんですよ」って。ジ・Oとかボリノーク・サマーンとかのクリーンナップは、誰だったのかなぁ? 藤田君なのかなぁ? 藤田君の線じゃないような気がするんですよね。
――ここからは『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988年)のお話をお伺いしたいと思うのですが、出渕さんのところに、『逆襲のシャア』の話が入ったのは、『ガンダムZZ』のころからなのでしょうか?
出渕 もう(メカデザイン)コンペは入ってましたよ。あれも最初永野君が描いてて、『ガンダムZZ』と同じで、富野さんが最初「永野にやらせる」って言ってて、バンダイとか製作委員会的なところから、これじゃ困るって話になって、富野さんが「じゃあ勝手にしろー!」って感じになって、サンライズの方でデザイナー達にコンペをやらせたんです。そこで僕が残ったって感じなんですけど……もう作業に入っていて、ガンダムはあの頃はHi-νガンダムだったのかなぁ? サザビーも最初はザ・ナックって名前でしたが、「ザ・ナックって商標とれなくて、サザビーって名前になりました」って。サザビーの方が(商標)とりにくい気がするんだけどだいじょうぶなのかなって(笑)
――サザビーコレクションとかありますものね。
出渕 でも、サザビーだいじょうぶみたいなんですよね。商品じゃないからかもしれませんね。『逆襲のシャア』の時は、庵野(秀明)君もいたし、近藤(和久)君もいました。庵野君の(コンペ用の新ガンダムデザイン)見ました? ほとんどRX-78(最初のガンダム)のまま。後頭部が少し長いだけ(笑) 大森(英敏)君もいたかな。あと何人か描いてましたね。