(株)ガジェットリンク代表・平松広和氏をお迎えして語って頂く今回は、声優としての平松氏の代表作と呼ばれている二つの作品に迫ります。「平松広和インタビュー・4『エルガイム』と『らき☆すた』と」

前回は「平松広和インタビュー・3『巨人の星』と『喩え話』と」

――このインタビュー連載も、今回辺りから伝説となった『重戦機エルガイム』(1984年 以下『エルガイム』)の話に流れていきたいと思うんですが。昨今の時代的に、平松さんも『エルガイム』は、何度も観返されてると思うんです。そこでまず伺うお話を考えたんですが、あの頃の富野由悠季監督のアニメって、『機動戦士ガンダム』(1979年)の大ヒット以降、主人公の声優さんは、既存アニメのメジャー声優さんを使うというより、洋画の吹き替え畑の方や、むしろいきなり新人を抜擢することが多かった印象が強いのですよね。『エルガイム』オーディション当時の話等は、もちろんガジェットリンクの公式YouTubeの、平松さんの『私道』というチャンネルがあるので、未見の方は是非そちらを観ていただきたいのですが、あの当時、平松さんご自身は、富野由悠季という監督の作品を、意識されておられましたか?

平松 えーっと、僕ね、『機動戦士ガンダム』いわゆるファーストガンダムをオンタイムでそんなに観てないんです。なぜかと言うと、東京に出てきたばかりの時で、そんな暇なかったんです。『無敵超人ザンボット3』(1977年)観て、『無敵鋼人ダイターン3』(1978年)観て。で、ギリギリで東京へ来てね。東京でガラッと生活が変化して、忙しくなりすぎて、『ガンダム』はあまり観られなくて……っていう流れだと思います。東京に出てくる前か、出てきたあたりが『ガンダム』の放映期間で。記憶してるのは、千葉耕市さんが(音響)演出された、ガンダムの後番組の『無敵ロボ トライダーG7』(1980年)。それの収録の見学に行かせてもらったんです。そこではスタッフが「『ガンダム』の視聴率を抜いたぁ」とか言って喜んでいたんですけれども、まあそうだろうなーって。今思えば、『無敵ロボ トライダーG7』は子どもにわかりやすい作品になっていて、『ガンダム』は、あの時間帯で観る人たちのアニメではなかったんだと思うんですよね。多分『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)みたいに、深夜から始まる(本放映は夕方だったが、ブームがブレイクした劇場版直前には、深夜再放映されていて、空前の視聴率を叩きだしていた)と、たぶんもっと早くブレイクしたんだと思うんですけど。

――当時『エルガイム』を観ていて感じたのは、もちろん、永野護さんの世界観や、富野由悠季監督の描く活劇もあったんですけれども、根底にあったのは、もっとピュアな、青春群像劇だったような気がするんです。登場人物が皆若くて、若いダバやキャオやアムやレッシィ、ギャブレーも含めて、常に引っ張り合ったり喧嘩をしたり、そういう人間臭さ、青臭さみたいなものが、とても魅力的だったのではないかと。

『重戦機エルガイム』より、ダバ・マイロード

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事