ここで話を実相寺監督に戻すとすれば、まさにそのサイクルを作った元祖こそが実相寺監督であり、監督の著書『星の林に月の船』こそが、そういった「特撮関係者の思い出本」の経済的成功を証明した一冊だったのだ。
しかしもちろん、実相寺監督がその本を書くまでは、そういった「昔の杵柄で利を得るためのノウハウ」はなかったわけで、むしろ実相寺監督が『星の林に月の船』を書くにあたっては、「昔の思い出を美化して語るだけで小遣い稼ぎ」などという発想ではない、純粋な想いがそこにあったに違いないのだ。
それを解く鍵が『侍ジャイアンツ』ではないかと筆者は考えるのだ。
実相寺監督の脱TBS・フリー嗜好は、早くからあったことが、実相寺監督と飯島敏宏監督の対談を納めた『バルタンの星のもとに』という本で明かされている。
結果として実相寺監督がTBSを退社するときには、介錯人として飯島監督が辞表提出に付き添った経緯があるが、そこに到るまでの、特に円谷出向作品においての実相寺監督の暴れっぷりは、まさに、巨人に入団した番場蛮が、巨人を内側から解体するために取った、様々な奇行や非常識なプレイっぷりに酷似していた。
例えば『ウルトラマン』(1966年)当時の円谷プロ文芸には、金城哲夫・上原正三という正規文芸部員が、『ウルトラQ』(1966年)時代のSF作家クラブとの関係から発展させた人脈と、親会社TBSの意向を汲んで人事された脚本家陣との二つの派閥が在った。
しかし、そこで実相寺監督がウルトラ参入にあたって引き入れたのは、大島渚監督の創造社で活躍していた社会派作家の佐々木守氏だった。
実相寺監督は、今回紹介しているセブンの『狙われた街』で金城氏と組むまでは、『ウルトラマン』では必ず佐々木氏と組む作品しか撮らず、円谷文芸や作風がそこに入り込むことを頑なに拒んでいた。
(ちなみにウルトラのメインライター・金城氏と初めて組んだ本話であるが、本話を印象的な寓話たらしめているラストのナレーションは、これは実は元の金城脚本にはなく、佐々木守氏による一筆であると聞く。そこでたった一行を書き加えるだけで「金城作品」の骨子を破壊し、「佐々木作品」に変貌させてしまう佐々木氏の才能にも脱帽だが、「作品世界のメインライターが書いたシナリオに、外様ライターによる一行を書き加えさせることで、全く視点の逆転したラストへの落とし込みを確信犯で行う」は、ここでもやはり実相寺氏による、ウルトラそのものに対する、アイロニカルな姿勢を垣間見ることが出来る)
後年のファンにしてみれば、『ウルトラマン』においての実相寺氏による佐々木氏の抜擢は喜ばしい部分しか見えず、佐々木氏がその才能ぶりでウルトラの世界観や作風の輪を広げたことは、結果的に功績にはなっているが、しかし「他所者によって好き勝手に書かれた」挙句、金城氏にしてみれば、自分がメインを勤める以上、あえて見ないふりをしなければいけなかった「ウルトラの闇」が、佐々木・実相寺氏によっていとも簡単に暴かれたのが、『故郷は地球』『怪獣墓場』『恐怖の宇宙線』といった、作品群であったのは確かなことである。
これらの佐々木・実相寺作品が残した爪痕・傷跡については、金城氏がセブン、上原氏にいたっては新マン時期まで引きずる結果を生み、それは決して、一時期のファンが能天気に語っていた「金城・円谷がメインで直球を投げて、佐々木・実相寺が変化球を投げる。ウルトラというのは多面性があって素晴らしいなぁ。そしてそういった変化球作品すらも懐広く受け入れた、金城氏の功績は素晴らしい」という言葉だけでは語りつくせないのである。
そしてその、まるで内閣改造における「一本釣り人事」のような、実相寺氏による佐々木氏の抜擢はもちろん、実相寺氏が円谷に対しての親会社・TBSの社員だからこそ出来たわけで、氏の小説『星の林に月の船』や、それを1993年に佐々木氏がドラマ化した『ウルトラマンを作った男たち』などでは、やたらと実相寺氏(作中では吉良)が円谷のスタッフに、「親会社TBSを傘に着て好き勝手やるんじゃないぞ」と嫌味を言われるが、いや、むしろ実相寺氏は、まさに親会社を傘に着て好き勝手をやっていたのである。
例えば実相寺氏は、そこで怪獣の特撮演出という職人世界の表現技法に関して、当時の特撮監督だった高野宏一氏と正面から対立。(ちなみにこの時の対立経緯・構図は、実はドラマ『ウルトラマンを作った男たち』で描かれた、実相寺氏と高野氏の対立構図とは全くの逆であり、実際は、シーボーズやスカイドンに人間臭い演出を施した特撮班に対して、実相寺氏が憤慨したというのが真相らしい。それを「家族で見るファミリードラマ」として成立させるために、あえて両者の主張を逆転して作劇してみせた佐々木氏はやはり天才ライターなのだ)
怪獣造形に関しても実相寺監督は、ガマクジラの造形を巡って高山良策氏と遺恨を残した。
ガマクジラに関しては、円谷プロ自身が持つ「怪獣を醜い物にしない。醜い怪獣をテレビに出さない」という戒律からくる、高山氏による確信犯的な「可愛い造形」であったのだが、実相寺氏は初期ウルトラにおいても頑なに、「おぞましい物、醜い物、テレビの前の茶の間が総毛立つ物」を出したがっていた部分が強く、この辺りにも、決して当時の実相寺氏が、円谷イズムに根底から入り込んで、惚れこんで作品を作っていたわけではないことが伺える。
そして有名な『空の贈り物』におけるスプーン変身と「一本内でウルトラマンが二回変身する」という反則技。また『怪獣墓場』における「科特隊基地セットで葬儀をさせる」など、まさにそれは『侍ジャイアンツ』で番場が行った、「試合中にいきなり三塁から二塁へ逆走をする」や「相手バッター全員にデッドボールを食らわして、相手に放棄試合をさせる」などと同じ、禁じ手ギリギリの暴走行為だったのである。
セブンに入ってからも実相寺氏は常に、「いかにしてウルトラから抜け出るか」を考えていたふしがある。以前も解説したが『ウルトラセブン』では、作品の輸出を考慮して、作中で日本家屋内はあまり出さないようにという申し開きがあった。
しかし、実相寺監督は、それを逆手にとって本話では、見事なまでに60年代的畳の部屋で、ダンとメトロン星人を対峙させた。
一方、本話と同時撮影となった『遊星より愛をこめて』では、物語作劇そのものには何も問題はなかったが(12話が欠番扱いになったのは、あくまで後年の出版物記述が原因であり、作品そのものには何も問題はないことははっきりしている)実相寺監督は、この話のためだけに新たに劇伴(BGM)を新録音させた。
劇伴は、長期シリーズでは、途中で追加録音されるケースは少なくないが、コストパフォーマンスの問題から、追加新録音される劇伴は、汎用性が求められる曲になるのが通例であるにも拘わらず、実相寺監督は自分の一本の話の1シーンのためだけに、冬木透氏による追加録音一曲の枠を使ったのである。
これはもちろん、実相寺監督が親会社の出向監督だからこそ、叶えてもらえた要望だったのである。
(ちなみにセブンの劇伴追加録音は後にもう一回行われているが、そのときは、同じTBSからの出向監督である、飯島監督が登板する回にあわせて新録音が行われている)
また、12話においては、先述した「醜いキャラ」問題が再燃し、登場するスペル星人のデザインについて、デザイナーの成田亨氏と揉め、結果として成田氏はこのトラブルと、恐竜戦車・アイアンロックスなどでデザインポリシーに関して憤りを覚えて、円谷から去ることになるのである。
作品を送り出すたびに何かしらのトラブルを呼び込んでいた実相寺氏は、本話における「畳の部屋」問題が物議をかもし出し、一時期セブンの監督を干されることになるが、京都で念願の時代劇『風』(1967年)を撮った後に(飯島監督のフォローがあったのだろう)、セブンに戻ってくることになる。
しかしそこで演出した『円盤が来た』でも、またもや「畳の部屋」を出した辺りは、ここまでくるともはや何をか言わんやであった。