本話は、2006年に亡くなられた、実相寺昭雄監督による『ウルトラセブン』(1967年)初メガホンとなる作品。実際には実相寺組は、本話と同時に、第12話『遊星より愛をこめて』との二本でクランクインしたが、諸事情により12話は永久欠番となっているのは、賢明なウルトラファンの方々であれば周知の事実。

月日は様々な形で人の心に影響を与えるが、12話の欠番騒動と共に、ウルトラ製作時から現代までに流れた月日は、当時の関係者・スタッフにも、様々な心の変化をもたらしたのではないだろうか。

とりわけ実相寺監督は、60年代当時は新進気鋭の芸術派ディレクターと呼ばれ、スタジオドラマではその芸術嗜好の演出から何度も物議をかもし出す、いわば破天荒な問題児ディレクターであった。

そんな「芸術家気取りの若手ディレクター」が、度重なったトラブルのせいでTBS内部での懲罰人事を食らったのが、円谷へ出向という結果であった。

その時の実相寺監督の胸中やいかばかりか。

昨日まで芸術派と呼ばれ、社内を肩で風切っていた自分が、円谷へ出向、ウルトラナントカという怪獣番組を撮らねばならない、すまじきものは宮仕え。

それは当時の関係者の証言を集めても、決して後の実相寺監督の著書に書き連ねられた、「円谷監督への憧憬と、特撮番組への夢と理想」に満ちてはいなかったと思われる。

いくら芸術的才能に溢れた鬼才であっても、肩書きはTBSの社員である。

社員である以上身勝手な作品つくりは許されず、会社の方針とチームワークで、堅実な作品を生み出すことが社員の務めでもあるのだ。

にも拘らず、実相寺監督は己の才を作品にぶつけた、ぶつけすぎた。

結果として、実相寺監督はスタジオドラマの現場を追い出されて、「子ども向けのゲテモノ番組」へと飛ばされたのだ。

人はそうそうこれをポジティブに、プラス思考で受け止められるものではない。

もとより、型破りで枠にはまりきらない実相寺監督は、放送局会社の社員演出家には向いていなかったのかもしれないが、あからさまな懲罰人事で円谷プロへと出向を命じられた監督が、次に目論んだと思われるのが「わざとウルトラから弾き出されること」だった。

筆者が幼少の頃から愛した漫画に『侍ジャイアンツ』(1971年)という作品がある。

現実のプロ野球を舞台にした、梶原一騎原作、井上コオ作画による、いわゆるスポ根漫画に分類される作品で、当時はアニメ化もされて人気を博していて、筆者も夢中になっていた。

物語はこうである。

おりしも時は読売巨人軍のV9黄金時代。

王・長島・堀内といったスター選手を抱えた巨人軍は、向かうところ敵なしの快進撃を続けながらも、その奥底には不安を抱えていた。

あまりにもサラリーマン選手が多くなってしまったため、野球が本来の闘争心を失いかけていたのだ。

そこで当時の巨人の川上監督は考えた。

「サムライが欲しい」と。

その結果選ばれたのは、破天荒な高校球児・番場蛮だった。

番場は型破りな男で、破天荒な野球を身につけている豪快なサムライ。

しかし、彼は大の巨人嫌いで、プロに入るならむしろライバル球団に入って巨人をぶっ潰すと宣言。

だが巨人はその番場の意思を無視してドラフト会議で番場を指名。

怒り狂う番場だったが、なぜかあれほど嫌がっていた巨人入団を受け入れる。

喜ぶ巨人関係者だが、実は番場が指名を浮けて思いついた発想こそが、土佐の伝説のモリ師にヒントを得た「鯨の腹破り」であった。

巨大な鯨を、ちっぽけな人間が潰そうと考えたら、外から責めてもダメである。一度鯨に飲み込まれることによって、内部から腹を食い破り、身を賭してぶっ潰さなければならない。

番場はそう考えたからこそ、巨人入団を快諾したのだった。

それを知った川上監督は、周囲の反対を押し切り、番場の腹破り宣言を受け入れる。

「だが番場、黙って食い破られる巨人ではないぞ。お前が巨人の腹を見事に食い破るか、それとも巨人がお前を消化するかだ」

川上監督は、そう番場に切り替えして、かくして番場の巨人入団が決まった。

そこからは、番場の嵐のような暴れっぷりと、それに翻弄される「伝統ある巨人軍」が描かれる。

野球のセオリーや常識を覆す、プレイや行動で巨人を内側から揺さぶる番場。しかしやがて、番場の真意が変わってくるのである。「サムライは、己を知り、己を信用してくれた者のために死す」番場は、自分の暴れ放題の生き様とプレイを受け入れてくれた、巨人の器の大きさにいつしか心酔するようになり、誰よりも巨人を愛するプレイヤーとなり、全てを賭けてチームの為に戦い、やがて、先ほどの言葉どおり、チームの為にマウンドで死んでしまうラストを迎える。

なぜ今回ここまで長々と、実相寺監督ともウルトラとも関係ない、スポ根漫画のストーリーを書き連ねたかというと、筆者が今回『光の国から愛をこめて』『ウルトラセブン』実相寺昭雄論を展開するに当たって、当時の資料や談話、現在入手できる関係者の証言などを集めていって俯瞰したときに、まさに実相寺監督の、円谷時代の生き様そのものが、『侍ジャイアンツ』の番場蛮そのものだったのではないかと、そう思えて仕方ないからである。

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