主人公たちが死に物狂いで魔球を生み出す。
その魔球を打たんと、ライバルたちが命を燃やして特訓する。
そして勝負の時が来て、聖者必衰、主人公が全てを注ぎ込んだ魔球は敗れる。
人生を、野球選手生命をかけた魔球を打たれた主人公は去るのみ。
それが「魔球漫画」のお約束であり不文律であった。
それは「どんな人生や過去があり、どんな地位や名誉に恵まれていようとも、野球が好きである者同士は、実力の競争社会の中で、競い合って肩を並べて生きていける」水島漫画でも同じであった。
『野球狂の詩』水原勇気編クライマックス。かつて2軍で勇気と共に笑い、汗を流し、愛した武藤が、移籍した先の広島で、勇気のドリームボールを打つためだけに残りの野球人人生の全てを駆けてバッターボックスに立つ。
勇気のドリームボールは唯一球のみの魔球であるため、勝負はたった一度しかない。
球界の至宝、岩田鉄五郎は、だからこそそこでカーブを投げることを勇気に命令する。
しかし、勇気は断固として拒否して、ドリームボールで武藤の執念に応える道を選んだ。
甘い。厳しいプロの世界にそんな安い感情論はいらない。監督や岩田がカーブを命じる中、それまで勇気を攻める側にも立ったメッツのナインやベンチが勇気の味方に付いた。「リリーフを命ぜられた以上、一人以上投げないとおろせませんよ」「ドリームはかならず打たれると信じているんですか?」「勝負はやってみなければわかりませんよ」と。
勇気は誓った。
「ドリームボールは打たせない。打たれたら野球選手を辞める。この一球にかける」
『野球狂の詩』水島新司
それを聞いた岩田は自分を嘲笑った。
「大きゅうなったの。それに比べて33年わしゃプロの飯を食うとってせこいのォ」
『野球狂の詩』水島新司
舞台は整った。
球界を揺るがし、世間が驚いた「女性プロ野球選手誕生」の瞬間から、勇気を怒鳴り叱責ししごき、その中でドリームボールという夢を勇気に見出し、野球選手としての微かな夢を抱いて奮闘し、クビになり、ようやく勇気の敵としてバッターボックスに立った武藤。
この日のために。
この一球のために。