後に氏は、『宇宙戦艦ヤマト』(制作1974年)のプロデューサーの西崎義展氏に言及して(富野氏にとっては、自らが初めて総監督を務めたアニメ『海のトリトン』(1972年)のプロデューサーでもあった)自著で

あえて記すならば、西崎義展プロデューサーは、嫌いな人物だ。愛すべき人物ではあるし、それは分かるのだが、決して好きになりたくない人物なのだ。
(中略)
だが、アニメ界全体にとって、氏の存在は大きかったとはいえる。その客観的評価は、少しも崩れはしない。なぜなら、業界に新たな、商売する大人が明確な形で入ってきて、良いにつけ悪いにつけプロデューサーの存在を知らしめたからである。
アニメ界にとって問題なのは、その氏のやり口を所詮は金儲け主義の独善者だという子供が多すぎる点だ。
(中略)
だから、僕は「ガンダム」の企画を始めた時、ロボット物を使ってでも、「ヤマト」をおとしてみせる、と意図したものだ。

アニメージュ文庫『だから僕は…』富野由悠季著

こう書いている。また、他のインタビューでもこう答えている。

富野 (前略)それから、ガンダムを作るきっかけですが、以前にも少し話したんですけど、本音はただ一つです。ごたいそうなものじゃなくてね、「ヤマトをつぶせ!」これです。他にありません。

ラポート『富野語録』富野由悠季インタビュー

富野 (前略)だから、最初の「ガンダム」の場合の敵は「ヤマトを潰せ」「西崎を潰せ」です。これしか、僕には無い。それは、未だにひとつの目標としてずっと残ってる事なんです。
そういう意味では、そういう敵を設定させてくれた西崎さんと「ヤマト」には大変、僕は感謝してます。言っちゃえば、あれがなければあそこまでは燃えなかったよねえ。だから、僕にとっては、安彦君っていうのは敵にはしたくなかったんだけども。

同人誌『逆襲のシャア 友の会』インタビュー

富野監督が随所でアジテーションしてきた「大仰な“ドラマっぽさ”を身にまとい、そこに“愛”だの“ロマン”だのがあるかのように振る舞い、テレビ漫画ビジネスの頂点に立って、社会現象まで起こした『ヤマト』を、テレビ漫画の中で一番俗悪だと蔑まれ続けている“ロボット物”を使って、どうぶっ潰し、どう超えてみせるか」そこが『ガンダム』のスタート地点だったと言い切っても、これは過言ではない。

アムロ「動くぞ……こいつ。すごい……5倍以上のエネルギーゲインがある!」

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