筆者が推理小説なる、甘美で知的な文学に戯れ始めたのは、まだ筆者が小学生だったころ(時代が時代だけに)当時児童のご多分にもれず、ポプラ社の明智小五郎シリーズなど江戸川乱歩を中心に、児童向けにアレンジを施した、学級文庫に並ぶ図書本からだった。
それでも筆者の場合は、思春期以降の文学嗜好を、意識してSFというジャンルに絞りこんだからであろうか、中学に入学する頃は、すっかりミステリー文学の購読ボリュームが、それまでと比較すると、激減してしまったのである。
ミステリージャンルに限って言及するならば、どちらかといえば筆者はその後は、レイモンド・チャンドラーやダシール・ハメット、大藪春彦といった、ハードボイルド文学へと傾倒していった流れがあるのだが、そこではおそらく、筆者の中にあった中学生特有の「自分を等身大以上に、背伸びしてみせたい思春期独自の感覚」が、ミステリー(特に本格推理ジャンル)が持ち合わせている、知戯性から発せられるクイズっぽさやゲーム性をして、幼稚であり、非現実的であり、それゆえ、およそ文学らしからぬなどという、まことにもってこちらの方が、よっぽど幼稚な価値観で凝り固まっていたために、より、リアルな描写や骨子によって構築されている(と思い込んだ)ハードボイルド文学へ傾く方が「かっこよかった」のだろう。
しかしそれでも、幼い頃に江戸川乱歩や横溝正史や、エラリー・クィーンやアガサ・クリスティといった秀星達がそこで教えてくれた「人間が生み出した、文字という記号を手がかりに、送り手と受け手が、最高に知的なゲームを文学というフィールドで繰り広げる」という、その甘く素敵な魅力の奥深さは、筆者の胸の奥では、消し去りはできなかったのだ。
だからだろうか。
筆者が思春期の頃に、少しばかり手を伸ばしたミステリー小説はどれも、小峰元『アルキメデスは手を汚さない(1973年)』栗本薫『ぼくらの時代(1978年)』井沢元彦『猿丸幻視行(1980年)』高橋克彦『写楽殺人事件(1983年)』などなど、その殆どは、江戸川乱歩賞の受賞作品であった。
1954年に、希代の作家・江戸川乱歩氏の基金によって、日本推理作家協会が創設した江戸川乱歩賞は、その名の通り江戸川乱歩の後継者たる、本格推理小説に贈られるケースが歴代もっとも多く、それは、松本清張以降の、社会派リアリズムミステリー主流の流れの中にあって、トリック、フーダニット、アリバイ崩し、そして名探偵の名推理といった、本格推理ならではのガジェットと特色が存分に活かされた作品を発掘し、評価し続けることで、その本格推理の系譜が、ミステリー文学の中で途絶えてしまうことがないように、日本ミステリー小説界の要石のように、機能していたのである。
人の時間は有限であり、また人生という時間の中において、その広げる手に抱き込める世界も有限である。
筆者は、その10代においては、ただでさえ映画や演劇、バンドなど、やれあちらだこちらだで、東奔西走していたせいもあってか(それは勿論言い訳だが)こと推理文学に関しては、そこには後年の筆者をして、激しく後悔させるほどに、筆者好きする、文化・文学論の流れや経緯、そして成熟期へ向かった果ての落胆など、およそ、映画や音楽、SF小説やアニメなどと同じかそれ以上の、魅力溢れる文化史が、そこにあったのであるのだが、当時の筆者は、そこを学び追いかけて、歴史の目撃者にならんとするだけの、時間もエネルギーも、ひねり出すことができないのが現状であった。