それでも。

それでも、そこに集まったプロフェッショナルが、個々に使命感とプロ意識と技術と情熱を持ち寄れば、半世紀以上経過しても評価される仕事を、後世に残すことは充分に可能なのだと、『ウルトラセブン』という作品は、そのことを証明したわけであり、そしてそれは、決して色あせない形で残っていくだろうということだ。

だからこそ、当時円谷プロの社員作家だった市川森一氏の『私が愛したウルトラセブン』は、確かにそこに描かれた物語や逸話はフィクションかもしれないが、例え、現実の「当時のスタッフ」がどんなことをリアルタイムに考えていたとしても、それが数十年経って、振り返り俯瞰したときには、間違いなく「そこ」は、夢を紡ぎだす夢工場であって、アンヌはやはり、清楚な聖女的マドンナであったのだ。

時は記憶を美化させると言うが、それは無思慮な自己正当化ではなく、その時代・時間が産み落とした物が、時を経過した結果、熟成された価値を新たに得ることで、逆算された過去にも、また新たな価値が生まれるという構図もあるのではないか。

このことは『狙われた街』評論の時の、実相寺昭雄監督論にも通ずるが、今を生きて、今の時代に過去の作品を検証し論ずる立場としては、そういった方々の「今の立場」や「現在抱いている価値」を、最大限に尊重して向かわねばならないと思っている。 その上で、当時の資料や当時の関係者の皆様方に触れて、当時の作品を検証していく作業は、きっと無駄にならないのだろうと本音で思っている……。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事