「すぐ人を尊敬したりくっついて来るような連中は、必ず”あんな人とは思わなかった”とか”裏切られた”とか、同じように、素早く結論を出すに決まってやがるんだ。、俺の友達に作家がいて、知りもしねーのに勝手にヅカヅカと会いにくるファンは、例外なくその手合いなんだってよ」

狩撫麻礼『迷走王ボーダー』

この台詞は『ウルトラマン』(1966年)の中の台詞ではない。

いや、特撮作品の台詞でもなければ、そもそもドラマの中の台詞でもない。

80年代後半のバブル文化の中で、週刊漫画アクションという青年誌で連載された、狩撫麻礼原作、たなか亜希夫作画による漫画『迷走王ボーダー』(1986年)の中で、主人公が発した台詞の一説である。

筆者は市川森一氏や金城哲夫氏といったウルトラ作家以外にも、丸山昇一氏や富野由悠季監督、押井守監督や工藤栄一監督といった映像作家や脚本家、広瀬正氏や平井和正氏、司馬遼太郎氏などといった小説家と共に、狩撫麻礼氏という漫画原作者にも心酔している。

もっとも『光の国から愛をこめて』は、その彼が発信した数々のメッセージを語る場所ではないので、詳しい解説は割愛することにするが、本話『遊星から来た兄弟』は、その後第二期を中心にウルトラで幾度となく描かれていく、「違う人種・違った環境の者同士がつむぐ絆」を、はじめてテーマにした作品だろう。

人という生き物は、そもそも個々に違う環境で違う経験を積み重ねて、価値観や常識、視点や人格を形成していく。

そこで最低限、共有して守らねばならないルールや約束を学ぶことも大切ではあるが、それ以上に、いやそれ以前に、そうそう人間が、他者と劇的に異なった環境や人生経験を積めるものではないことは、筆者のように、半世紀以上も生きるようになるとわかってくる。

しかし、その同じ経験や環境をもってしても、相容れない異なった価値観は発生するもので、そこで異なった価値観を持つ者同士が繋がりあって、大きなコロニーの中で生きていくということは、大なり小なりの信頼という絆が、そこに必要になってくるのである。

ではその信頼という絆は、どのようにして育まれていくのかと考慮するとき、そこには実は近道も抜け道もなく、「30分でマスターできる」マニュアルもない。

老人同士の夫婦がよく「おい婆さんや、アレ取ってくれアレ」「はいはいアレですね」というやり取りをして成立することがあるが、それは決してその老夫婦がエスパーだからではない。

その夫婦が数十年の年月をかけて、無数のやり取りをキャッチボールして、同じ時間と場所を共有してきた果てにだからこそ、そういうやり取りが成立するのだ。

そこでかかった数十年という年月と、無数のキャッチボールの回数だけが、互いの信頼を生み、互いが互いを正確に認知することが出来、だから「アレ」という、たった二文字の抽象的な単語であっても、その意味を共有させることが出来るのである。

人は、どんなに文明が進んでも、科学が発達してコミュニケーションツールが開発されても、それを扱う人間という生物そのものが進化しているわけではない。人と人は、もともとが獣の生物である以上はやはり、文字よりも声、声よりも姿、姿よりも体温で、相手を感じて実感する生き物なのである。

そう、実感。

皆さんには経験がないだろうか?

ネットを使っていて、日々の日常で辛いことや寂しいことがあったとする。

なんの気なしにそれを日記やブログ、Twitter等で書いたとして、しばらくしてみてそこに、何人かのネットの友達や知り合いからコメントやリプが寄せられたとする。

その文字を読むだけで、うれしくありがたく、暖かい気持ちになるだろう。

しかし、そこで何百人から何千文字で、文字という記号が並べられていたとしても、そこでその、あなたの日記を読んで心配してくれた人からかかってきた、電話の向こうから聞こえる、人の生の声で伝えられる言葉の暖かみには、やはりかなわなかったりするのは、人が生身の生き物であるなによりの証拠だ。

そして、もしそこでその相手に、何時間電話で慰めてもらったり励ましてもらったとしても、一緒の場所にいる相手が、笑顔と表情で発してくれる言葉には、やはりかなわないのも、これも現実である。

そして時には、何千文字の文字よりも、何百語の言葉よりも、無言のまま繋がった、手と手が伝えてくれる暖かさだけが、癒してくれるものもある。

人が人と繋がれているのだという実感は、そこに様々な要因が心を包み、人を育てていくことに繋がっていく。

人は誰だって寂しい、誰だって辛い、誰だって頑張っている。

だから、それを誰かに知ってほしいし、誰かと共有したいし、自分はこの、広大な世界の中で、永遠の孤独ではありはしないのだと実感したい。

そう、実感。

理屈なんかどうでもいい、ニヒリストを気取った現実論なんかでは誤魔化しきれない、人は誰でも心のどこかで、ちゃんと人と繋がっている実感を欲しがって生きている。

その確認行為を、抱き合う形で行う人もいるだろう。ネットのTwitterやブログの、カウンター数やコメント数でそれを推し量る人もいるだろう。

その基準は人それぞれで様々だけど、一つだけ変わらないことがある。

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