本話は、野長瀬三摩地監督自らが、『バラージの青い石』『遊星から来た兄弟』等のように、南川竜名義で脚本を共同執筆した一本である。

野長瀬監督は、ウルトラマンという存在を「完全無欠のヒーロー」として描こうと、各話において様々なアプローチを行ってきたわけであるが、その中にあった手法の一つに「時空を越えた強さを描く」というのがあった。

それは、例えば『バラージの青い石』では、幻の町・バラージを5千年の長きに渡って襲っていた魔物・アントラーと、太古の昔から「ノアの神」と呼ばれ崇め奉られてきたウルトラマンの関係が、永遠を思わせる時系列で語られていて、その上で現代において、ウルトラマンがアントラーに勝利するという構造の中で、ウルトラマンの強さ・絶対性が、時間を越えた普遍さを持つものだという、エクスキューズを与える形をとっている。

ヒーローが完全無欠を得るために必要なのは、その強さが、ありとあらゆる時空を越えて、無敵であることだろう。

その強さが、海底から地底から、宇宙の果てまで、そして悠久の過去から果てしない未来まで、空間と時間を越えて響いてこそ、完全無欠のヒーローたりえるのだ。

野長瀬監督が脚本から担当したウルトラマンは、海底の覇者・ラゴンを、地底の覇者・ゴルドンを、悠久の時を越えたアントラーを、宇宙の果てからやってきた「宇宙悪意」のエージェント・ザラブ星人を、次々と打ち砕いてみせた。

そして本話においてもまた、人類文明有史以前の覇者である悪魔の怪獣・アボラスとバニラを、現代に蘇らせた上で、それをウルトラマンに越えさせることで、また一つ、ウルトラマンに「時空を越えた強さの勲章」を与えたのだ。

また、本話を語る際に欠かせないのが、特撮シーンの演出だ。

一応タイトルクレジットでは、本話の特撮は高野宏一氏が勤めたということになっているが、本話は実はその特撮演出に関しては、東宝の特技監督にして円谷プロの社長・円谷英二監督が直接陣頭指揮を執り、結果、異例になる、二週間の撮影期間をかけて撮り上げられた。

世界に名高い円谷英二監督の、特殊技術演出がテレビで観られた僥倖は、実は『ウルトラマン』(1966年)の過密スケジュールが、影響することで出来た「嬉しい珍事」であった。

『ウルトラマン』は、制作話順で9話目にあたる『ウルトラ作戦第一号』が、放映第1話であることからも分かるように、その開始時には、9本のストックを持って放映に望んだ。

しかし、一週間に一本の映画レベルの特撮ドラマを送り出すことは、予想以上に困難であり、この時期、撮影班は二班体制から、さらに三班体制へと移行し、それでも納期ギリギリの、完パケ納品が続いていたという。

その結果、東宝で正月用ゴジラ映画である『ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘』(1966年)を、撮り終えたばかりの円谷英二監督が、戦場状態の『ウルトラマン』で急遽メガホンを取ったという流れである。

二大怪獣のバトルと、それに続くウルトラマンの激闘を、競技場という舞台に集約させていき、すり鉢状の競技場を効果的に使って、科特隊の面々を怪獣達と合成していくそのテクニックは、流石というしかない。

また、この時期の過密スケジュールは、ミニチュアのスケジュールまでもタイトにしてしまい、この回では(他の撮影班が使用していた為)ジェットビートルの出番が極端に少ないが、カットによっては、小型ビートルのミニチュアを、すばやい動きとカッティングで、ジェットビートルに見せる演出など、トリッキーな手法も垣間見えて、流石世界の円谷と言わざるを得ない。

『ウルトラマン』においては、怪獣が複数登場する回であっても、必ず怪獣同士のトーナメントが行われ、最後にウルトラマンと対決する怪獣は、一匹だけという法則性がある。

(これが崩れるのは『帰ってきたウルトラマン』(1971年)の、第3話『恐怖の怪獣魔境』でのサドラ・デットン戦である)

そこで、バニラに討ち勝ったアボラスと、ウルトラマンによる最終的な決戦は、競技場の真ん中で堂々と行われることになるが、円谷監督は、それまでの怪獣映画でも、最後の決戦の舞台の絵面に凝る志向性があり、今回選んだその競技場という舞台設定は、絵的にも充分に、最後の対決を盛り上げていた。

いきなり余談に近い話題に移るが、筆者が小学生だったころ、ウルトラを語るときによく使われていた言葉に「ウルトラ広場」というのがあった。

もちろんこれは、筆者の周囲でしか通用しない造語であったし、その後、見聞きした単語ではないのだが、今回本話を見返したときに、フッと児童の頃のそんな言葉を思い返した。

「ウルトラ広場」とは、特に第二期中期以降のウルトラにおいて、ウルトラマンと怪獣が戦うクライマックスになると突然現れる、セット中央の広大な広場のことであり、そこが密接した住宅街であっても、都心のビル街であっても、コンビナート工業地帯であっても、それは必ず現れるので、それを揶揄して指す言葉として「ウルトラ広場」と称したのだ。

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